『猫にやきもち』
「そろそろ行かないとな……」
日曜日の午後からは、大学生になってから始めた本屋でのバイトがある。
僕は鞄を持って部屋を出ると、一階に下りた。
(お母さんと堂島さんはリビングかな? 行ってくるねって一声掛けて――)
そう考えながらリビングに向かおうとすると、リビングのドアをほんの少し開けて、まるで『家政婦は見た!』のように廊下から中の様子をうかがっているお母さんの姿が視界に入った。
本人は真剣な顔をしているけれども、傍から見たら不審な行動で。
「ね、ねぇ。お母さん……?」
「……っ、風斗! しーっ、静かに!」
人差し指を口元に当て、お母さんは気配を潜めるよう僕に促す。
一体、リビングで何が起こっているのだろう。
不審者でもいるのかと思いながらお母さんの傍にそっと近寄ると、僕は不審な行動の意味を問い掛けた。
「何してるの? リビングに変な人でもいるの……? もしそうなら自分でなんとかしようとせずに、警察を呼んだ方がいいんじゃ……」
「変な人って、そうじゃないわよ。私が見てるのは恭也さんよ」
「はぁ? 堂島さん……?」
「そう、恭也さん」
「……それじゃあ、どうして隠れて堂島さんを見てるの? いつも通り、声を掛ければいいのに。――あ、もしかして珍しくケンカしたとか」
「違うわよ。……雷斗と遊ぶ恭也さんを見てたの」
「雷斗と?」
思わず聞き返してお母さんの頭の上からリビングを覗き込む。
ちなみに『雷斗』は双子の片割れの雷斗じゃなくて、数ヶ月前に僕が拾ってきた猫の雷斗のことだ。
人懐っこい性格ですぐに僕ら三人にも慣れて、今は家族同然の存在だけれど。
(……確かに、堂島さんが猫じゃらしを使って雷斗と遊んでる。でも、どうしてお母さんが隠れて様子を見ているのかが分からないな)
ドアの向こうの様子を確認して、僕は改めてお母さんに問い掛けた。
「ねぇ、お母さん。雷斗と遊ぶ堂島さんを見て楽しいの? なんかさ、どっちかって言うと、あの光景を見て癒されてるって感じには見えないんだけど」
真剣な様子で中の様子をうかがっていたお母さんの姿にそう指摘すると、痛い所をつかれたって顔をして、ため息一つ。そして理由を僕に話してくれた。
「雷斗と遊んでる時の恭也さん、妙に嬉しそうな顔をしてない? 私とか風斗に見せる顔とは別の笑顔見せたりとか」
「……へ?」
「ほら、私たちの前よりもリラックスしてるというか、心から笑ってるっていうか。妙に優しい顔してたりするのよ」
「…………」
雷斗と遊んでいる時の表情がいつもと違う、と力説するお母さんに、僕は思わず苦笑した。
確かに雷斗を相手している時の堂島さんはよく笑ったりしていて、いつもの落ち着いた印象とは違ってるかもしれない。でもそれは小さかった僕や病院に来る子供達に向けるものと同じで。
恋は盲目ってこういう事を言うのかな、なんて思いながら、僕はお母さんの肩を軽く叩いた。
「僕はお母さんと一緒にいる時の堂島さんの方が、ずっと特別な表情してると思うよ」
「風斗……」
「ね、お母さん。相手は猫の雷斗なんだから、こんな所でヤキモチ妬いてないで一緒に遊んできたらどう?」
「ヤ、ヤキモチって……。私は別にそんなっ」
「はいはい。言い訳はいいから――」
言葉半ばでリビングのドアを開け放ち、振り返った堂島さんに笑顔を向ける。
「堂島さん、なんだかお母さんが拗ねちゃってるみたいだから後はよろしくお願いします」
「――風斗っ!」
「夏見さん……?」
焦るお母さんを見た堂島さんは、一瞬遅れて僕を見る。そして何かを察したように猫じゃらしを置いて立ち上がると、了解とばかりに微笑みを浮かべた。
(さすがは堂島さんだな)
多くを伝えなくても、今の状況と僕の言葉で経緯を分かってくれている。
「それじゃあ、僕はバイトに行って来るから。帰りはいつも通りの時間だからね。行ってきまーす!」
お母さんが何か言う前にと用件を言い残し、リビングを出る。
(……猫にヤキモチ妬くなんて、ちょっと可愛いかも)
たぶん、これは堂島さんも思ってることだろうけど。
お母さんの謎の行動の意味も、これで解決……!
「後はバイトに……って、うわ、もうこんな時間! ちょっと走った方が良さそうかも」
腕時計を見て時間を確認した僕は、家を後にして走り出した。
(Completion→2010.09.05)