『Durch Leiden Freude』 第4話


 夢を、見ていた。
 特別な夢なんかじゃなくて、ただ堂島さんが目の前に立って微笑んでいるだけの。
 それでも。それだけでなんだか嬉しくて――。
「んぅ……。どう…じま……さん……」
 無意識に零れた声に、ふっと目が覚める。
「私、寝言を……」
 まだ部屋の中は暗くて。
 もう一度眠ろうと目を閉じるけれど、なんだか寝付けない。
 夢の内容を思い返し、私は息を吐いた。
(……堂島さん、本当に疲れていただけだったのかな?)
 今日の昼間。一年ぶりに会った堂島さんは、夢で見た姿とは違って硬い表情をしていた。
 帰ったばかりで疲れているからと、すぐに行ってしまって。
 向こうでの話を聞きたかったけれど、そうさせてはくれなかった。
(なんか、様子がおかしかったような……)
 寝返りを打って――。そして私は、部屋の異変に気付いた。
(カーテンが揺れてる。……って、なんで窓が開いているんだろう?)
 春とはいえ、夜はまだまだ寒くて。気付いた途端、吹き込む冷たい風に体が震える。
 仕方なく私は起き上がって、窓の前に立った。
「変なの……。確か、鍵がかかってるのを確認してから寝たわよね」
 巻くんから不審者が現れるっていう話を聞いてから、施錠に関しては十二分に気をつけている。
 それなのに開いてるということは――。
「まさか、家の中に不審者がっ!?」
 嫌な予感にカーディガンを羽織り、家の中を一部屋一部屋確認して回る。
 けれど、どこにも異変はなくて。
 自分の部屋に戻って、私は窓の外に目を凝らしてみる。
「やっぱり何もないわね。……変なの」
 窓とカーテンを閉めて、もう一度に戻ろうとして。そして机の上にあるアルバムに目が留まった。
 子供達が堂島さんに贈ったものと同じ内容のアルバム。
「……出しておいた覚えはないんだけど」
 またも、不可解な出来事。
 普通なら気味悪がる所なんだけど、何気なくデスクスタンドの明かりを点けて、それを見返してみる。
「ふふっ、懐かしいわね……」
 まだ幼くて、泣き虫でとびきり甘えん坊だった風斗。
 雷斗にも再会出来て、お母さんだって名乗ることが出来て。
 いろんな事を経験しながら、あの子たちは大きくなっていった。
「……こうしてみると、いつも堂島さんが側にいてくれたんだよね」
 写真に写る堂島さんの姿。写っていなくても、私と子供たち三人で写っている写真は、堂島さんが撮ってくれている事が多くて。
 何気ない日常の中でも。特別な何かがあった時にも。
 いつも、私たち家族を支えてくれていたんだって思う。
「…………」
 パラパラとページをめくって、そして辿り着いたのは。
 彼がエジプトに発つ直前に撮った写真。
 肩を抱かれて驚いたけれど、ふわりと包み込まれるような感覚に心が震えた。
 でも……。
「なんか、遠いよ……」
 一年ぶりに会った堂島さんは、どこか余所余所しくて。
 私はアルバムを閉じて、ベッドに潜り込んだ。
 眠気は覚めてしまって少しも眠れそうにはないけれど、写真を見るのが辛くて。
 ただ夢の中の姿を思い出そうと、そっと瞼を閉じた。












   エピローグ 『二人の距離』

 それはある秋の日のこと。
 風斗が修学旅行に出かけたその夜に、堂島さんが私に言った言葉。
「……自分を軸にしては絶対に得られない、作れないとわかっているから。側で見守らせて欲しい、君たちの事を。……ただ、私の方には踏み込まないで欲しい。身勝手なお願いで申し訳ないけれど……それが私の距離のとり方なんだ」
 静かな声音で言ったそれは、私にもわかる、彼が引いた一線だった。
 人間に興味が持てないと言った堂島さんが、清四郎さん以外に唯一の例外だと告げた私を遠ざけて。
 ――矛盾してる。
 けれど、それを指摘することは出来なくて。
 複雑な笑顔を浮かべた堂島さんに、私は言葉を失ってしまったのだ。
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
 言葉を返して、いつかと同じように車が見えなくなるまで見送って。
 そして。
 自然と溢れた涙が、頬を伝って零れ落ちた。