『Memory』


「………出来たっ!」
 最後のページに写真を挿んで、ようやく完成した一冊のアルバム。
 どうしても一冊にまとめたくて分厚いアルバムを用意したけれど、さすがに十五年分の写真は入りきらなくて。どれを挿もうかずいぶんと悩みながら完成したアルバムは、私の一生の宝物。
 世界にたった一つの――。
「お嬢さん、完成したのかい?」
「……堂島さん」
 掛けられた声に顔を上げると、堂島さんが静かに微笑んだ。
「うん、ようやく。ねぇ、今から一緒に見ない? 私とあの子達、それからあなたとの思い出。私達の十五年間……」
 ソファに移動し、私の隣に座る堂島さんに笑顔を返して初めのページを捲ると、紫藤家の庭で撮った四人の写真が目に入る。
 私と堂島さんと幸四郎さんと、そして清四郎さん。
「これは……」
「私達の始まりの写真。このアルバムの主役はあの子達だけど、どうしても最初に入れたかったの」
 結局最後まで音沙汰なく、逢えないままに別れてしまった清四郎さんの――幸せだったあの頃の写真をこのアルバムに入れる事は正直迷ったけれど。でも、彼と出会えたから堂島さんとも巡り逢う事が出来た。
 だから、私にとってこの写真は『今の幸せ』に繋がる最初の写真なのだ。
「……懐かしいな」
「本当にね。……ふふっ。堂島さん、こうしてみるとやっぱりお互いに老けたよね」
「それは仕方ないさ。この時から二十年以上経っているのだからね」
「そっか、もうそんなに経っちゃったんだよね。振り返れば、いろんな事があったなぁ……」
 私はつぶやきながらアルバムのページを捲った。
 どのページのどの写真にも思い出がある。
 あの子達との思い出はもちろん、こうしてずっと傍にいて私を支えてくれた、あなたとの思い出が――。
 ページを捲る度に蘇る思い出に、二人で微笑み合う。
 風斗が本当に小さかった頃から高校を卒業するまでを順番に追っていき――そしてある写真に辿り着き、私の手が止まった。
「お嬢さん、どうしたの? 次の写真は……」
「うん……」
 促されて、ゆっくりと捲ったページに挿んだ写真は私と堂島さんの二人が写ったものだ。
 肩を抱き寄せられ、いつになく近い距離。穏やかな微笑みを浮かべる堂島さんとは対照的に、私は泣き出しそうな笑顔で写っている。
「これは……」
「憶えてる? 堂島さんがエジプトに行く直前に撮った写真だよ」
「ああ、もちろん憶えているよ。忘れられるはずがない」
 静かに微笑む堂島さんに、私はうなずいた。
 清四郎さんを探しに行くのだと急に告げられたエジプト行き。あまりに急な事に驚いて、戸惑いを覚えた事を思い出す。
 出発まであと数日というある日、ただ戸惑うばかりで呆然としていた私の代わりに風斗と雷斗が提案して開いた食事会。この写真はその時に撮った写真だ。
 風斗がカメラを持った時、悪ノリしたみたいに『二人とも、もっとくっついて』と騒いで、それに応えた堂島さんが私の肩を抱き寄せた。
 そんな風にされたのは初めてで、近い距離と肩を抱く手の力強さに訳も分からず泣きたくなった。
 だから写真に写った私の表情は『泣き笑い』で。
「……ひどい顔してるでしょ? この時はどうして泣きそうになったのか分からなかったけど、今なら分かる。私……離れたくなかったんだ。エジプトに行くって聞かされて、ずっと信じられなくて――ううん、信じたくなくて堂島さんがいなくなる毎日の事を考えないようにしてた。でも、この時に初めて本当に行っちゃうんだって自覚したの。まるで心に穴が開いたみたいだった」
 離れ離れになるのが辛くて、心が痛くて。
 今になってそれがどうしてだったのかが分かる。そんな風に心を痛める程に、この頃にはもう堂島さんがかけがえのない存在になっていたんだって。
「私って本当に鈍感だよね。傍にいてくれるのが当たり前で気付かなかった。今まで堂島さんがどれだけ私を支えてくれていたのか、会えなくなる事で初めて気付いたの。それに、私の心の中にあるあなたの存在が、どれだけ大きかったのかも――」
「…………お嬢さん」
 優しく肩を引き寄せられ、そして包み込まれるように抱き締められる。ずっと近くなった距離に高鳴る鼓動を感じながら体を預けていると、堂島さんの声が届いた。
「私の話も聞いてくれるかい? ……実はこれと同じ写真を出発直前に風斗君からもらってエジプトに持っていったんだ。あの国で仕事と両立させながら清四郎の捜索に奔走する日々はなかなかにハードでね。次第に参りそうになっていた。だけど、そんなある日にこの写真を見て気付いたんだ。お嬢さんのこの表情……もしかしたら、ただ単に離れる事を寂しがっているだけではないのでは――とね。自惚れかもしれないけれど、それはずいぶん励みになったよ。もう少し君の為に頑張ろうと思えたんだ」
「堂島さん……」
「でもね、同時にこうも思った。もし清四郎が見つからなかったらお嬢さんが私を思って見せてくれるこんな表情は二度と見る事が出来ないかもしれない……と。今まではあいつが帰ってきたら私は身を引いて二人の友人として君たちの幸せを見守る――それで総てが元通りになると思っていた。だが、大人しく身を引く事など出来そうにない自分に気付いたんだ。頭の片隅で『もしこのまま清四郎が見つからなかったら』と、そう考えた事もあった。だからこそ、あいつを本当の意味で見つける事が出来なかったのかもしれない」
 そっと体を押し戻され、顔を上げると表情を曇らせた堂島さんが静かに私を見つめた。
「身勝手でひどい話だと思わないかい? あの頃の君はまだ清四郎の事を待っていたというのにね。……お嬢さん、もう一度考えて欲しい。本当に私でいいのかい? これから残りの人生を過ごす相手だ。……もう一度だけ、よく考えて」
「………………うん」
 こくりとうなずいて、目を閉じる。
 本当に長い間、この人は私を見守り続けてくれていた。
 アルバムを見返しても記憶を辿っても。いつだって誰よりも近く私の傍にいてくれた。
「……………」
 私は目を開けて右手の薬指にはめた指輪を見た。それは、清四郎さんと離婚して半年が経った頃に堂島さんから贈られた婚約指輪。
『皮肉なものだね。傍にいられるだけで良かったはずなのに、それだけでは足りなくなっている自分がいるんだ』
 そう言って苦笑した堂島さんは今、私の気持ちを再確認している。
(堂島さん……)
 私は顔を上げて微笑んだ。
「堂島さんが傍にいてくれたから、私はここまで歩いてくる事が出来たの。だから……これからもずっと、私の傍にいて」
「お嬢さん……」
 答えは決まっている。だからこそ心からの気持ちを伝えたら、もう一度、今度は力強く抱き締められて一瞬呼吸が止まりそうになった。
 苦しいほどに強く抱かれ、そして耳元で囁かれる。
「……本当にいいんだね。もう君が嫌だと言っても放さないよ。清四郎が帰って来たとしても、絶対に渡さない」
「――っ」
 抱き締める腕の力が緩んだと思ったら、あっという間にソファに体が沈みこむ。押し倒されたんだって気付いた時には、もう堂島さんが私を見下ろしていた。
 見つめる瞳が熱っぽくて、一気に体中が熱くなる。
「えっ……あ、ちょ、ちょっと待って! ここソファーだし、今は昼間だし、その……堂島……さん……」
 焦る私とは対照的に、堂島さんは静かに微笑んでいる。
「……好きだよ。君の事が本当に」
 そして告げられた想いに、私はふいに泣きそうになって堂島さんの首に手を回してその体を引き寄せた。
「私も……。大好き」
 私を抱き締めてくれるこの人と、二度と離れたくない。ずっと傍で笑っていたい。
 清四郎さんとは違う幸せを、この人と二人で築いていく。



 私達の十五年間を綴ったアルバム。
 その最後のページは実はまだ空白で。
 ねぇ、堂島さん。
 後で言おうと思っていたけど、そのページには私達二人の写真を入れようと思っているの。


 あと一週間後に迫った、結婚式での写真を――。