『新しい家族』
朝起きて、簡単な身支度を終えてリビングへと向かう。
まだ重たい目を擦りながら階段を下りると、キッチンから美味しそうな匂いが漂ってきた。
「そっか、今日は月曜日だった」
美味しそうな匂いは味噌汁の匂い。毎週月曜日に、お母さんは決まって和食の朝食を用意する。その理由は、堂島さんが泊まりに来ているからだ。
半年前に再婚した二人はまだ一緒に住んではいなくて、土曜日の診療が終わってから月曜の朝まで堂島さんがこの家に通い、泊まっていく。かと言って俗に言う週末婚という訳ではなくて、平日もご飯を食べに来たり、お母さんが堂島さんの家に行ったりと仲睦まじくしている。
一度だけ、お母さんにこの家を手放して堂島さんと一緒に暮らしたらと言った事があるけれど、却下されてしまった。
その理由を聞けば、しばらくの間は僕を含めて家族水入らずで過ごしたい――そんな風に言われて、僕は何も言えなくなってしまった。
堂島さんがお父さんになってくれたらいいなって、昔から願ってた僕だから。こんな歳になったけれど、実の所嬉しいんだって気持ちを、きっと二人とも解っているんだろう。だからこうして通い婚をしてくれているのだと思う。
僕だってもう大人なんだから、早く自立して一人暮らしをして……と思うけど、今の環境が心地良くて、もう少しだけ甘えさせてもらおうと思っているんだ。
「風斗くん、おはよう」
リビングに着くと、僕に気付いた堂島さんが声を掛けてくれる。
新聞を広げ、コーヒーカップを持つ姿は絵に描いたような『お父さん』で、僕は口元が緩むのを感じた。
「おはよう、堂島さん」
「あ、おはよう風斗! ちょうど朝御飯が出来たから座って。恭也さんも、新聞片付けてね」
「はいはい」
焼き魚に卵焼きに味噌汁とご飯。それから、堂島さんが近所のお婆ちゃんからもらった佃煮とお母さんが神から奪った(?)という漬物がテーブルの上に並び、自然とお腹がぐぅう…と鳴る。
元々、朝食はパンが多かったけれど、堂島さんが来るようになってから平日の朝は和食の比率が多くなってきた。お母さん曰く、元気に一日を過ごすには和食が一番! なんて言ってたけれど、多分自分たちの健康を考えてのことだと思う。
そんな訳で、毎週月曜日の朝は決まって和食なのだ。
「それじゃあ、いただきます」
一緒のタイミングに手を合わせて、食事の挨拶。
家族揃っての食事は、大抵お母さんがいろんな話をしながら進んでいく。それに僕が答えたり、堂島さんが相槌を打ったりして。
それは普通の家庭にとっては当たり前の光景かもしれないけれど、僕にとってはとても大切なもの。もちろん、お母さんと二人で過ごした日々は楽しかったけれど、三人で過ごす日々はもっと穏やかで嬉しくて。
清四郎さんと雷斗と、僕とお母さんの家族が本当の家族だけど、僕にとっては今の家族が一番なんだと心から思う。
「……ん? 風斗、なんだか妙に機嫌がいいわね」
「そうかな? ……う~ん、そうかもしれない」
「確かに嬉しそうだね。なにかいい事でもあったのかい?」
「いい事っていうか、ご飯が美味しいな~と思って」
僕の言葉に二人は顔を見合わせ、ふふっと笑った。僕の言った言葉が単純に味が美味しいと言っているんじゃないって気付いて、どこか照れくさそうに。
「なによ~。おだてたって何も出ないわよ?」
「え~。じゃあ、代わりに一つ聞いてもいい?」
お母さんの言葉に悪乗りして、僕はずっと気になっていた事を聞いてみた。
「ねぇ、二人は子供を作る気ないの?」
「…………っ、ふ、風斗っ!?」
顔を真っ赤にして焦るお母さんと、涼しい顔をして味噌汁を口にする堂島さん。
対照的な様子に、ますます興味が湧いてくる。
「別に恥ずかしがることなんかないよ。二人は夫婦なんだし、お母さんはまだ若いんだから十分にありでしょ?」
「やだなぁ、風斗くん。お母さん『は』って、それじゃあ私の扱いが可哀想じゃないか。まぁ、実際いい歳ではあるけれどね。……もちろん、その可能性はあるよ」
「恭也さんまで……っ!」
さらりと答える堂島さんとは反対に、お母さんは耳まで顔を真っ赤にして困ったように顔をうつむかせてしまった。
そんなお母さんの様子は息子から見ても可愛くて、堂島さんを見ると同じ事を思っているのか、いつになく幸せそうな笑顔でお母さんを見つめている。
「ちょっと歳が離れちゃうけど、兄弟が出来るのは歓迎するから頑張ってね。じゃあ、ごちそうさまでした!」
丁度食べ終わって席を立ち、食器を流しに運んでお母さんに怒られない内に自分の部屋まで戻る。案の定、落ち着きを取り戻したらしいお母さんが階下から叫ぶのが聞こえたけれど、僕は聞こえないフリをして大学に行く支度をした。
昨日の内に用意していた鞄の中身をチェックして、身支度を整えて。ちょっと早めだけど出ていこうかな……と思ってドアを開けると、微かに二人の話し声が聞こえてきて、僕は思わず聞き耳を立てた。
「……じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん。……ねぇ、恭也さん。さっきの話だけど」
「……ん?」
「その、子供の話。……可能性はあるって言ってたけど、恭也さんは実際の所、どう思ってるの? その、赤ちゃん……欲しいって思ってる?」
「…………そうだね、正直に言えば欲しいよ。君と一緒に過ごせればそれでいいと思っていたけれど、最近は欲が出てしまってね。出来るならばと思っているよ」
「恭也さん……」
「だから、風斗くんに聞かれて『可能性はある』って答えたんだ。……可能性は、君次第というのが本当の答えだけれどね。どうかな?」
「…………私……も。もう一度子育てしてみたい。あなたの子供を……二人で一緒に育てていきたい」
「うん。ありがとう、夏見さん」
そこで会話は途切れ、僕は静かにドアを閉めた。たぶん、ラブラブモードに入っちゃったんだろう。堂島さんの事だから遅刻するような真似はしないとは思うけれど、しばらくは部屋に閉じこもっていた方がいいと判断した。
椅子に座り、机の上に置いたままだった雑誌をペラペラめくりながら物思う。
あの様子なら、本当に二人の間に僕と雷斗の兄弟が出来るのはそう遠くないだろう。
家族三人で過ごす日々のカウントダウンは、思いがけず始まってしまった。
「そろそろ、僕も真剣に今後を考えなきゃな……」
いつまでも子供のままではいられないと決意し、僕は窓の外に広がる青空を見上げた。