『新しい家族 その2』
「困ったな……。堂島さんは許可してくれるかもしれないけど、お母さんがダメって言うだろうな」
玄関先で一人つぶやいて、僕はタオルに包み込んだ子猫を見下ろした。
大学からの帰り道。絵に描いたようにダンボール箱に入れられ、捨てられていた一匹の小さな猫。小雨が降る中、その身を震わせながら弱々しい声で鳴いてるのを見つけちゃったら、誰だって拾って帰りたくなっちゃうよね?
「……う~ん、イチかバチか、当たって砕けろだ!」
しばらくの間考えて出した結論。
決意を胸に玄関の戸を開けようとすると、肩をトントンと叩かれて心臓が飛び上がった。
「うわぁっ!? ……って、堂島さん?」
驚きながら振り返ってみると、不思議そうな顔をした堂島さんが僕を見ていた。
「ああ。ごめんよ、そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど」
「ううん、こっちこそ大きな声を出してごめん。……堂島さん、今帰ったの?」
「そうだよ。それより……それはどうしたんだい?」
「あ……」
腕の中の猫に気付かれ、少しの気まずさを感じながら正直に白状する。
かわいそうになって連れてきたこと。もし出来るのならば、飼いたいということ。
「お母さんは面倒見切れないからダメって言うと思う。でも、僕、この子の世話をしたいんだ」
ダンボール箱から抱き上げた時、不安そうな瞳をしていたけれど、額や喉元を撫でていく内に懐いてくれた。全身で震える体を僕に擦り付けて、ゴロゴロと喉を鳴らして。
「ね、お願いっ! お母さんを説得するの、協力して……!」
「う~ん、そうだね……」
必死にお願いする僕の腕の中で、子猫は小さな声で鳴き声をあげる。
しばらくの間、僕と子猫を交互に見つめた堂島さんは、やがてふっと笑った。
「分かったよ。私が拾ってきた事にして、二人で飼いたいとお願いしてみようか」
「……ありがとう、堂島さんっ!!」
「そうと決まったら、その子を私に抱かせてくれるかな。私が抱いていた方が真実味が増すだろう?」
「うん」
機転が利くところはさすが堂島さん、なんて思いながら子猫を渡すと、タイミング良く玄関の戸が開いた。
「なんか話し声がすると思ったら、二人とも帰ってたのね。こんな所にいつまでもいないで、家に入って――」
そこまで言ったお母さんは子猫の存在に気付き、呆然と堂島さんを見上げた。
「……えっと、恭也さん?」
「ああ、この子かい? 帰り道で偶然見つけてね。つい連れてきてしまったよ」
「つい……って」
「ん? もしかして、猫は嫌いかな?」
「嫌いじゃない……けど、まさか、飼うつもりじゃないでしょうね?」
「そのまさかだよ。玄関先で風斗くんと行き会って、そう話していたんだ。君の許しさえ出れば、この子を新しい家族として迎えたいと思っているんだけど……」
どうかな? と促す堂島さんの腕の中で、子猫が「にゃー」と一声鳴く。これにはお母さんも弱った様子で、口元を緩めながら(たぶん、堂島さんが子猫を抱く姿が可愛いとか思ってるんだろう)思案し始める。
この様子ならあと一押しで……!
「……ねぇ、お母さん。こんな小さな子、きっと一人じゃ生きていけないよ。僕が面倒見るから、お願いっ……!」
今までいろんな事をお母さんにおねだりしたけれど、これまでで一番真剣にお願いしてみる。
うっと呻いたお母さんの反応に隣の堂島さんをちらりと見ると、『もう大丈夫』とアイコンタクトが返って来た。
「…………もうっ、二人がかりで説得なんて、反対する余地がないじゃないの」
やがて諦めたようにお母さんは大きく息を吐き、そう言ってくるりと背を向けた。
「ただし、必ず風斗が責任を持って世話すること! 拾ってきたからには最後まで面倒みなさい」
「お母さん……! ごめんね、ありがとう……」
リビングへと向かっていくお母さんは、僕が拾って来たんだって見抜いたみたい。
慌ててお礼を言うと、堂島さんにぽんぽんと頭を叩かれる。
「そうと決まったら、いろいろ買って来なくてはね。子猫用のミルクはもちろん、器やトイレ、砂なんかも。この子は夏見さんに任せて、買い物に行こう」
「……うん!」
うなずく僕にこの場で待っているように告げると、堂島さんは一度家に上がってお母さんに子猫を預けにいく。
やがて戻って来た堂島さんの車に乗って、僕は新しい家族を迎える為の買い物に向かった。
*
「お母さん、ただいま!」
「あ、おかえり~」
「おや、すっかり仲良くなってるようだね」
荷物を持った僕らを迎えたお母さんの手には、しっかりと子猫が抱かれている。さっきまでの反応とは違う姿に、僕と堂島さんは顔を見合わせてクスッと笑った。
「なによ……。別に私は嫌いで飼っちゃダメって言ってた訳じゃないもの」
「そうだね、むしろ好きというのが伝わってくるよ」
「うん、ホントホント。あ、お母さん。僕が世話するんだから、その権利を奪っちゃだめだよ?」
「分かってるわよ~……」
新しい家族を迎えた団欒の時はいつも以上に賑やかで。けれど、何気なく言ったお母さんの一言がその温かな空気を一変させた。
「そうだ、名前なんだけどね。二人が買い物に行ってる間に考えたんだけど、『清四郎』なんて名前付けてみたらどうかしら?」
清四郎って、お父さんの名前じゃんか……って一瞬固まってから堂島さんの様子を見ると、平静を装っているようで目が泳いでる。
……うん、そうだよね。奥さんの元旦那で、しかも自分の親友の名前を付けられて平気でいられる人なんかこの世にいない――ううん、一人だけ、当のお母さんだけはそういうの関係ないみたいだけど。
自分の目の前で猫の名前といえど、愛する妻が元旦那の名前を連呼する姿なんか想像もしたくないだろう。「…………あのさ、お母さん」
「ん、なぁに?」
「それだけはやめた方がいいよ。却下……っていうか、いくらなんでもありえないから。ね、堂島さん」
「あ、ああ……。さすがにちょっと……ね」
苦笑いする堂島さんってば、まだショックを引きずっているようで頬が引きつっている。そんな堂島さんを見て、お母さんは急に笑い出した。
「やだ、二人とも……。もちろん冗談に決まってるじゃない! ちょっと反応が見たかっただけなんだけど、風斗はともかく恭也さんってば動揺しすぎっ!」
「……はぁ。君の場合、冗談に聞こえないからね。もう私も歳なんだから、あまり心臓に負担をかけるような事はしないでくれるかな」
「本当にね。お母さんってば悪ふざけしすぎだよ。……それで、本当の名前は? 考えてあるんでしょ?」
冗談で名前を考えたぐらいだから、きっと本命も考えているんだろう――そう思って聞いてみると、よく分かったわね~と頭をぐりぐり撫でられてしまった。
「そうなのよ。安直なんだけどね、『雷斗』でどうかしら?」
「え……? 雷斗の名前をそのまま付けるの?」
「そうそう。あの子、紫藤家にいるからなかなかこっちに来れないし、家族っぽくていいでしょ? なにより、この癖毛があの子っぽいし」
なるほど、言われて見れば所々ぴょんぴょん跳ねてる毛は雷斗の髪の毛みたいで。そう思うと、顔もなんだか似てるように見えてきた。
「ふふっ、雷斗くんが遊びに来た時の反応を見るのもおもしろそうだね」
なんて、堂島さんもけっこう乗り気みたい。
「……じゃあ、決定しちゃう?」
「そうね」
「私も賛成だよ」
三人で顔を見合わせて、子猫を囲んで笑い合う。
雷斗が知ったら怒るかもしれないけれど、『家族っぽいから』っていうお母さんの言葉を聞けばきっと仕方ないって思うよね。
「雷斗、これからよろしくね!」
早速名前を呼んで声を掛けると、雷斗はお母さんの腕の中で「にゃー」と嬉しそうに一鳴きした。