『君と見る二度目の花火』
「ひなちゃん、大丈夫かい?」
「……はい、なんとか」
夏休み最後の日曜日。
人混みの中、そう言葉を返すひなちゃんの声は周囲の音に阻まれ、なんとか聞き取れる程度だ。
二人で二度目の花火を見ようと、電車を乗り継いで出掛けた先の花火大会はずいぶんと盛況で。会場に向かう道は人波で思うように進めない。
(こんな所ではぐれたら、合流するのは難しいだろうな……)
連絡を取ろうにも、この状況では携帯電話も頼りにならない。繋いだ手を離してしまえば、ひなちゃんはあっという間に人波に攫われてしまうだろう――そう思った矢先、俺の手を握る彼女の力が少し強くなった。
思った事は同じなのか、手を握り返せば安心したような微笑みが返ってくる。
けれどその直後。ひなちゃんが人に押され、小さな声をあげた。
「きゃっ」
「――ひなちゃん!」
前に倒れこみそうになった彼女を引き寄せ、とっさに抱き止めて体を支える。
「……危ない所だったね。大丈夫?」
「あ、ありがとうございます。おかげで転ばずに――」
そう言って顔を上げたひなちゃんの、まとめられていたはずの髪が解けている。彼女自身それに気付いたようで、髪に手を当てて驚いた表情を浮かべた。
「……シュシュがない。もしかして、落ちちゃった?」
「シュシュ?」
蒼白な顔をして足元を見回すひなちゃんの言葉に、彼女が付けていたシュシュの特徴を思い出す。
ドット柄で、色はブラウン。彼女にしては大人びたデザインで――。
(ああ、そうか。あれは確か、前に俺がプレゼントしたものだ)
強い風が吹いた日に、練習の役に立てばという軽い気持ちで買ったもの。それなのに今、彼女は必死になってそれを探している。
「そのシュシュ……」
「……っ、あったぁ!」
声を掛けるより早く嬉しそうな声が届き、手を解いたひなちゃんが宝物を見つけたかのように目を輝かせ、シュシュを拾い上げた。
「大地先輩、ありました――っ、わわっ!?」
土埃を丁寧に払いながら笑顔を浮かべたひなちゃんが、人の流れに押し流されそうになり、二、三歩離れてしまう。
「ひなちゃん、こっちへ!」
慌てて手を伸ばして彼女を引き寄せ、人波から外れた道の端へと誘導すると、二人で安堵の息をつき。
それから俺は彼女に背中を向けるように言った。
「大地先輩……?」
「髪、俺が結い直すよ」
「え? でも……」
「ほら、そのシュシュを貸してごらん」
「……はい」
頬を染め、俺の言った通りに背中を向けた彼女の髪に触れ、乱れた髪を手櫛で整える。
彼女の髪は柔らかく、ふわふわとしていて触り心地がいい。その髪触りを楽しみながら髪を梳かし、まとめていく中で俺はシュシュについて彼女に問い掛けた。
「ねぇ、ひなちゃん。このシュシュだけど、前に俺と一緒に入った雑貨屋で買ったものだよね」
「……あ。覚えていてくれたんですか?」
「ごめん。すぐには気付かなくて、ついさっき思い出したよ。今でも使ってくれているんだね」
実のところ、あまり彼女がこのシュシュを使っている姿を見る事はなく、記憶が薄らぎつつあった。けれど落とした時、まるで大切な物を無くしたかのような彼女の反応に記憶は鮮やかに蘇り。同時に嬉しさが湧き上がって。
「もしかして、大切に思ってくれてる?」
あの時、恋人でも何でもなく、ただのアンサンブルメンバーだったはずの俺からの贈り物。
少しでも特別に思っていてくれていたのなら――。そう思って問い掛けると、彼女は小さく、けれどしっかりとうなずいた。
「……そっか。ありがとう」
あたたかな気持ちを胸に、髪をシュシュでまとめ終え。
「はい、出来たよ」
「ありがと――」
お礼を言おうとしたひなちゃんの声が届くより早く、周囲の歓声と遅れて届いた花火の音が花火大会の始まりを告げる。
「あ、始まっちゃいましたね」
「そうだね……」
次々と打ち上げられる花火。
一方向に向かっていた人々が一瞬立ち止まり、夜空を見上げて再び先を急ぐ。
「大地先輩、私たちも行きましょうか」
ひなちゃんも人波に合流しようと足を踏み出し。けれど俺は手を伸ばし、それを引き止めた。
「……先輩?」
不思議そうに首を傾げるひなちゃんを引き寄せ、後ろから抱きしめる。
「わわっ、大地先輩っ!?」
「ひなちゃん、このままこの場所で花火を見ようか。少し障害物があるけれど十分見えるし、人混みに翻弄されることもない」
「で、でもっ。このままっていうのは、この状態で……?」
顔を真っ赤に染めながらの抗議の視線が送られてくる。そんな彼女の戸惑った様子を可愛いと思いながら、俺は言葉を続けた。
「そうだよ。いい案だと思わないかい? 人通りの外れで通行障害になることもないし、道行く人は花火に夢中でこっちの事なんか気にも留めてない。……それに何より、落し物をしたり、はぐれる心配もないからね」
「それは――っ」
何か反論しようと言葉を探すひなちゃんは、やがて諦めたように体の力を抜いた。前に回した俺の腕に彼女の手が触れ、それが了承の合図だと知る。
次々と打ち上がる花火はとても綺麗で。
ほんの二週間前に隣に並んで見上げた花火を、こんなにも近い距離で見られる事を幸せに思う。
夜空に咲く花を見上げながら、俺は彼女を抱く手にほんの少し力を込めた。
(Completion→2010.03.04)