ドキドキと、心臓がうるさいぐらいに音を立てている。
かなでは部室の前で何度も深呼吸を繰り返し、そして緊張に震える手でドアをノックして中へと入った。
「やあ、ひなちゃん」
「こんにちは、大地先輩」
出迎えた大地以外には人はいない。
――これは好都合か、そうでないのか。
頭の片隅でグルグルと考えを巡らせながら、当たり障りのない会話をしながらチャンスを窺い――。
『キスをあなたに。』
「ほう……。榊大地の驚いた顔が見たいんだな」
事の発端は昨夜のこと。
持ち掛けられた相談に目を細めるニアに、かなではコクコクとうなずいた。
夏のアンサンブルコンクールを機に付き合い始めた大地だが、いつも大人びた雰囲気をまとっていて、その姿勢を崩した姿を見たことが一度もない。
たまには意外な一面も見てみたいと相談してみたのだが、思った以上にニアは乗り気な様子で何事か案じている。
そして間もなく、ニアはにっこりと満面の笑みを浮かべて言った。
「それなら、君からキスしてみるのはどうだろう?」
「キ……キスッ!?」
思わず廊下まで届いてしまいそうな声をあげ、かなでは慌てて口を手で覆う。女子寮と男子寮は離れていて、他の誰かに聞かれる事はまずないのだが、内容が内容だ。
思いも寄らなかった提案に動揺した心をなんとか落ち着かせ、かなではニアに問い掛けた。
「な、なんでそう思ったの?」
「ヤツを驚かせるには意外性が必要不可欠だ。だからこそ、君からの――」
「ちょっと待って……。どうして、その……キスなんて……」
「答えは簡単じゃないか。君と榊は恋人同士なのだから、キスぐらいしているだろう。だけど、いつも向こうからばかりで君からキスする事はないはずだ」
「それは……。確かにそうかも……しれないけど」
二人の関係を的確に指摘するニアに、顔を真っ赤に染めながら肯定する。
「それなら話は簡単だろう? いつもは受け身の君が攻めに回れば、さすがのあいつも驚くはずだ」
「……私から?」
「そうだ。榊の驚いた顔が見たいのだろう?」
「う、うん……。よし、頑張ってみる!」
――と、決意を胸に翌日を迎えたが。
(どうしよう……)
ドキドキと、心臓がうるさいぐらいに音を立てている。
かなでは部室の前で何度も深呼吸を繰り返し、そして緊張に震える手でドアをノックして中へと入った。
「やあ、ひなちゃん」
「こんにちは、大地先輩」
出迎えた大地以外には人はいない。
――これは好都合か、そうでないのか。
頭の片隅でグルグルと考えを巡らせながら、当たり障りのない会話をしながらチャンスを窺い――。
「……ひなちゃん、さっきからどうしたんだい?」
「えっ!?」
当たり障りのない会話。その途中でふいに問い掛けられて、かなではビクリと飛び上がった。
「さっきから様子がおかしいようだけど、具合でも悪いとか?」
「わ、悪くないです……」
「そう……? でも、なんだかボーッとしてるよね。心ここにあらず、といった感じに見えるけど」
「そんなこと――」
ないです、と言い切れずにかなでは視線を逸らした。考えていたのは大地にキスをするという一点ばかりだ。
下手に言葉を返せばそんな心が暴かれてしまいそうで答えられない。かといって黙り込んだままでは不審に思われるだけ。
「ひなちゃん……?」
顔を覗き込む大地と目が合い、頬が赤く染まっていくのと同時にかなでは意を決した。
手を伸ばし、肩に手を掛けて思い切って顔を近付けて。
あと一歩の所で勇気が出ずに、頬に口付ける。
「え……?」
零れ落ちる大地の声。
その声に顔を離したかなでは彼の浮かべていた表情を見て、目を瞬かせた。
(……どうしてそんなに余裕の顔してるのっ!?)
突然のキスをされたはずの大地は、驚くどころか嬉しそうに微笑んでいる。
予想外の結果に呆然とするかなでに対し、大地は目を細めて笑った。
「初めてだね、ひなちゃんからしてくれたの。唇へのキスだったらもっと嬉しかったけど、それはまだお預けかな」
「……じゃあ、そうしたら大地先輩は驚いてくれるんですか?」
「驚いて……って、もしかして今のキスって俺に驚いて欲しかったから?」
「――あ」
自分から目的を告げてしまい、言葉を失うかなでに大地は何事か思案する。
やがて何か思い当たったように微笑み、かなでの肩に手を置いた。
「そうだなぁ。もし俺を驚かせたいんだったら――」
言葉を途中で切り、大地はかなでの髪をそっとかき上げ、露になった首筋に唇を寄せる。
「これぐらいしてもらわないと、ね」
「……っ!?」
囁く大地の吐息が首筋をくすぐり、そのまま軽く口付けが落とされる。
思いもよらない反撃に身を震わせるかなでにウインクし、大地は満面の笑みを浮かべた。
(Completion→2010.03.07)