『愛の表現』
思いを表すのに、言葉は一番のコミュニケーションツールだと思っていた。
だからこそ、今まで良しと思ったことは心のままに口にしてきた。特に、女性に対してはことさらに。
だが、それが裏目に出たのか、一番気持ちを伝えたい相手には上手い具合に伝わらず――。
「……ひなちゃん、こっちを向いてくれないかな?」
「…………いやです」
俺に背中を向け、モモのリードを強く握り締めたひなちゃんは、そう言って歩き始めた。
さっきまで流れていた穏やかな時間はすっかり一変してしまい、彼女は不機嫌というオーラを纏いながら公園の中を先へと進んでいく。
「はぁ、まいったな……」
手に持ったデジカメの電源をオフにして、俺は一定の距離を保ちながら彼女の後姿を追いかけた。
*
きっかけは、一枚の写真と俺の言葉。
買ったばかりの新しいデジカメを試したくて、モモを連れて出掛けた先の公園にはひなちゃんがいて。
一緒に被写体になってくれるという申し出に喜んでファインダーを覗き込むと、ひなちゃんはいろいろな表情を見せながらモモとじゃれ始めた。
「大地先輩、こんな感じでいいですか?」
「ああ、バッチリだよ。こっちの事は気にせずに自然にしていて」
返事をすると、ひなちゃんは笑顔で抱き上げたモモの鼻に自分の鼻をくっつけてみせる。
(お、シャッターチャンス!)
シャッターボタンを押し、撮れた画像を確認すると思った以上にいい画が撮れている。
柔らかく笑うひなちゃんが、どうしようもなく――。
「……ああ、本当に可愛いな」
「え……?」
俺の言葉に反応し、ひなちゃんは顔を上げた。
「ひなちゃん、見てみるかい? 今の写真なんだけど、すごく可愛いよ」
手招きをし、彼女に画像を見せる。
いい写真だと喜んでもらえるかと思ったが、ひなちゃんは食い入るように画面を見つめ。そしてつぶやくように言った。
「本当に可愛いですね、モモちゃん」
「ひなちゃん……?」
声にどことなく元気がない。表情も少し曇っていて、さっきまでの笑顔が消えている。
どうしたのかと続けて声を掛けようとするより早く、彼女はモモのリードを握り締め、俺に背中を向けた。
「……ひなちゃん、こっちを向いてくれないかな?」
「…………いやです」
今度は苛立ちを滲ませた声でそう告げると、スタスタと歩き出してしまった。
突然の事に状況が理解出来ない。けれど、写真を撮ったことがきっかけで彼女の心境に変化があった事は確かで。
「はぁ、まいったな……」
手に持ったデジカメの電源をオフにして、俺は一定の距離を保ちながら彼女の後姿を追いかけた。
先へ先へと足を進めるひなちゃん。その背中を追いかける俺。
唯一楽しそうなのはモモで、散歩の続きとばかりに尻尾を振りながら彼女の後を歩いている。
(それにしても、彼女が機嫌を損ねた原因はなんだ?)
写真を撮り、それを彼女に見せるまでは特に変わった様子はなかった。おかしいと気付いたのは、『本当に可愛いですね、モモちゃん』という言葉だ。
(――待てよ?)
彼女の言葉を頭の中で繰り返し、ふと引っ掛かりを覚える。
(俺が可愛いと言ったのはひなちゃんの事で。でも、彼女はモモに向けた言葉だと思ってる……?)
答えに辿り着いた俺は足を速めてひなちゃんに追いつき、腕を取って無理矢理立ち止まらせた。
「ひなちゃん、もしかしなくても怒ってるよね」
「別に怒ってなんか……」
そう答える彼女は視線を逸らし、足元を見つめている。
しばらくの間黙り込んだひなちゃんは、ふいにぽつりとつぶやいた。
「……大地先輩は、本当にモモちゃんが大好きなんですね。私、なんだか少し悔しくなっちゃって」
「やっぱり……」
「え……?」
俺の言葉に驚いたように顔を上げ、首を傾げたひなちゃんに言葉を重ねる。
「俺が可愛いって言ったのは、ひなちゃんのことだよ」
「うそ……」
「嘘なんかじゃない。……ああ、どう言ったら伝わるかな」
これまでに彼女に重ねてきた言葉だけじゃ足りない。この想いを伝えきれない。
どうすれば伝えられるのか――。
次の瞬間、俺は本能的に彼女の体を抱きしめた。
「だ、大地先輩っ!?」
「本当に君は可愛いよ。あの写真を撮った時、ひなちゃんの笑顔に目を惹かれてた。……いや、それだけじゃない。いつだって俺はひなちゃんばかり追いかけている」
この言葉は嘘偽りない本心で、それを伝える為に彼女を抱く腕に力を込める。
言葉で足りないなら、この体全てで想いを伝えればいい。
「………………」
抱きしめた腕の力とは反対に、少しずつひなちゃんの体から力が抜けていく。
やがて俺に体を預けたひなちゃんは、ゆっくりと顔を上げて言った。
「じゃあ、大地先輩があんな顔をしてたのは、私に対して……なんですね」
「あんな顔?」
「……可愛いって言った時の大地先輩、すごく優しい顔をしてました。それにとっても幸せそうで。だから、モモちゃんにヤキモチ妬いちゃって。……でも、今度は私がモモちゃんに妬かれる番かな?」
そう言って笑うひなちゃんが持つリードが、ぐいぐいと引っ張られている。
「……まったく、モモは空気を読まないヤツだな」
名残惜しさを感じつつ、体を離すとモモの尻尾がピンと上がった。
「さて、誤解も解けたところで散歩の続きでもしようか」
「あ、でも写真は?」
「今日は元々試し撮りをしたかっただけだからね。それに思った以上にいい写真が撮れたから満足だよ。……また今度、二人だけのデートの時に写真を撮ろう」
「……はい」
手を繋ぎ、二人でゆっくりと歩き出す。
もしかしたら、これからも俺の言葉は君に誤解を与えたり行き違いを生んでしまうかもしれない。
けれどその度に君を抱き寄せ、確かな温もりと言葉で伝えよう。
君を想う、この心を――。
Web企画お題『愛の表現』
お題提供先→『君と過ごす夏』