『週末ドライブ』



(ドキドキする)
 少し煙草臭い車の中。
 ほんの少しでも視線を右にずらせば、視界に入る金澤先生の横顔。
 見る度に「なんだ?」って聞くものだから、その度に「なんでもないです」って笑って答える。
 その横顔を見る度に、声を聞く度に。ああ、この人が好きなんだって自覚させられてしまう。
 だから―――。
 何度も何度もそんなやり取りを繰り返していたら、やがて先生は車を路肩に停めて言った。
「おいおい、そんな風に見られたらくすぐったいだろうが。それとも何か? ちょっかいかけて欲しいのか?」
「そうじゃなくて……って、先生?」
 カチャリ、とシートベルトを外して、半身を乗り出し右手で私の頬をつかむ。
「おー。さすがに女子高生はぷにぷにだなぁ。肌のハリもいいし、おじさん、うらやましいよ」
「もう、おもちゃにしないで下さいってば」
「いやいや、ホント。あれだな、こういう時に年齢差を感じるよな」
 しみじみと、そんな言葉を口にする。
「あのね、先生。そういう事言うのが年齢差を浮き立たせる要因だと思うんだけど。私は気にしてないのに、いつもそんな事ばっかり――」

「……香穂子」

 言葉を遮り、静かな声が私を呼ぶ。
 一週間ぶりに、名前を呼ばれる。
 『日野』じゃなくて、二人の時だけの名前が。
 真っ直ぐに見つめられ、鼓動が高鳴る。
「……っ」
 そっと目を閉じて、唇が重なるその時を待つ。
 けれど、触れることなくただ空気だけが唇を撫でていき、ほんの少しの煙草の匂いを残して、先生は体を戻した。
 キス、されるかと思った。
 でも運転席に座り直した先生は、何事もなかったかのような顔をしている。
 顔を赤くして意識してるのは私一人だけ。
「さー、寄り道はこれぐらいにして先を急ぐかね」
 あっという間に、いつもの飄々とした態度に戻る。
 それはまるで学校での『生徒』に対する態度で。
「…………」
 何とも言えない気持ちでただ見つめていると、気付いてこっちを向き、にんまりと笑った。
「お、なんか物足りないって顔してるな~。仕方ないだろ? お前さんが『先生』って呼ぶもんだから、俺も生徒扱いしてみただけだ。……うわ、そう怒るなって。あのさ、『先生』ってのも俺に年の差を実感させる要因だって事だよ。俺にも金澤紘人って名前があるんだから、たまには呼んで欲しいかもって子供っぽい考えもあったりする訳。ま、気が向いたら呼んでくれや。……今はいいが、卒業したら『先生』はごめんだからな」
 少しバツが悪そうに、視線を逸らす。
 そんな先生の言動がなんだか可愛くて少しだけ笑ったら、「なに笑ってるんだ」って怒ったように言って、体を乗り出す。
「え……」
 気付けば、さっきのような、けれど逃げられない体勢。
「まぁ、いくら『先生』と呼ばれた所で、今日は少なくとも先生と生徒の関係じゃないんだ。だから……さ」

――煙草の匂いがさっきよりもずっと近く届いて、唇が重なる。



 少しの時間の後、体を離した先生がシートベルトを締めながら私の方を向く。
「せっかくの休日デートなんだ。俺を楽しませてくれよ、香穂子」
「……っ」
 意味ありげに笑う先生と、真っ赤になった私と。
 こういう時、ずるいなって思う。
 大人なんだなって思い知らされる。
 簡単には埋められない距離を、これからどうやって埋めていこうか。
 そんな事を考えていると、横から苦笑交じりに言葉が届く。
「何を難しい顔をしてるんだ。お前さんはお前さんらしくしてりゃいいんだよ」
 また、だ。
 私は何も言っていないのに、欲しい言葉を、欲しい時に与えてくれる。
 そういう所が遠く感じて、でも、すごく好きで。
「……なんか、悔しいなぁ」
 ぽつりとつぶやいた言葉を先生は小さく笑って、アクセルを踏み込む。
「さ、行くぞ」
 再び走り始めた車と、動き出した景色と。
 一週間ぶりの遠出は、まだ始まったばかりで。
 車の窓から見える海が、とても眩しく、綺麗に見えた。