『雨の日に』
――雨が降るだなんて、思いもしなかった。
朝の天気予報は晴れのち曇り。
いつも笑顔のお天気コーナーのお姉さんは、『今日一日、お天気はもちそうです』だなんて言っていたのに。
「……うーん、困ったね。まだしばらく止みそうにないみたい」
窓越しに灰色の雲とポツポツと降る雨を見て、私はそうつぶやいた。
「そうだな……。まさか雨が降るとは思わなかった。さっきまでは良かったのに」
私の言葉に答えて、向かいに座る月森くんはあと数口分しか残っていないコーヒーを口に運んだ。
もう冷え切っている、そのコーヒー。
二人で喫茶店に入って、一時間が経っている。
学校の帰り道。その途中で、少し話をしていかないかと誘われて入った喫茶店。
お互いに飲み物を注文し、いろんな話をして。
ふと何気なく窓の外を見たら、いつの間にか雨が降り出していた。
「天気予報ではいいような事を言ってたから、傘なんて持って来なかったよ。…ねぇ、月森くんは持ってる?」
「………ああ、少し待ってくれ」
そう言って鞄の中を確認した月森くんは、小さなため息をついた。
「すまないが、家に置いてきてしまったようだ。ついこの間まではここに入れておいたんだが……」
「そっか……。まぁ、小雨だし、少し待てばきっと上がるよね」
「……そうだな。それじゃあ、追加注文でもしようか。君の紅茶も、すっかり冷めているだろう」
小さく微笑んで、月森くんは店員を呼び、同じものを注文した。
まるで、もう一度同じ時を繰り返すかのように、穏やかな時が流れる。
温かな紅茶と、月森くんと過ごす時間。
人間ってずいぶんと自分勝手なもので、こんな風に少しでも長く一緒にいられる時間を作ってくれた雨に、感謝したくなる。
いつもは疎ましく思う突然の雨も、今は私に幸せを与えてくれる。
――ねぇ、月森くん。
この突然の雨。
あなたもそう思ってくれていたら、嬉しいな。
*
――雨が降るだなんて、思いもしなかった。
「……うーん、困ったね。まだしばらく止みそうにないみたい」
窓の外を見やり、香穂子がぽつりとつぶやいた。
その声に視線を投げると、薄暗い空と、パラパラと降る雨。
「そうだな……。まさか雨が降るとは思わなかった。さっきまでは良かったのに」
香穂子の言葉にそう答えて、俺は残ったコーヒーを口にする。
もうすっかり冷たくなったコーヒー。
ふと時計を見ると、この店に入って一時間が経っていた。
『香穂子、良かったら少し話をしていかないか』
帰り道にそう言って喫茶店に誘った俺に香穂子は笑顔で答え、二人でこの店に入った時は確かに曇ってはいたものの、晴れていた。
それがこの一時間の間に雨となっていて。
ため息をつく香穂子が、雨雲を少し疎ましそうに見上げる。
「天気予報ではいいような事を言ってたから、傘なんて持って来なかったよ。…ねぇ、月森くんは持ってる?」
「………ああ、ちょっと待ってくれ」
答えて、俺は鞄を手元に寄せる。
いつも持ち歩いている折り畳み傘を取り出そうとし――ふと思った。
もし、傘がないと言えば、もう少し一緒にいられるだろうかと。
「……………」
俺は、子供かもしれない。嘘をついてまで君と一緒にいたいだなんて。
そんな自分に、思わずため息が出る。
それでも、言わずにはいられなかった。
「すまないが、家に置いてきてしまったようだ。ついこの間まではここに入れておいたんだが……」
「そっか……。まぁ、小雨だし、少し待てばきっと上がるよね」
香穂子は俺の嘘に気付かず、そう答えて微笑んだ。
『少し待てば』。
そんな彼女の言葉に、安堵する。
「……そうだな。それじゃあ、追加注文でもしようか。君の紅茶も、すっかり冷めているだろう」
君と一緒にいる為に、新しい飲み物を注文する。
一つの嘘と、口実と。
君がこの事に気付いたら、俺の事をどう思うだろうか。
新しく運ばれて来たコーヒーと紅茶。
香穂子は入れたての紅茶をそっと口に運び、優しく微笑む。
そんな香穂子の微笑みと、穏やかな時間と。
話の途中、窓の外を見上げた彼女の表情はずいぶんと柔らかで。
こんな突然の雨の日を、幸せに思う自分がいる。
――もし君が俺と過ごすこの時間を幸せだと感じてくれているのなら、
こんな雨の日も愛おしく思う。
そして、この雨がずっと続けばいいとすら、願ってしまう。
君は、どうだろうか。
この雨が、降り続ける事を……。
*
「雨、止んだね」
「ああ……」
店を後にして、ゆっくりと歩き始める。
それきり、しばらくどちらからも話をする事はなく、ただ並んで歩く。
空を見上げると、雲の切れ間から茜色に染まった太陽が見える。
「ねぇ、月森くん」
「……ん?」
ふと、会話が始まる。
「ゆっくり出来て楽しかったね」
「……ああ」
「………私ね、正直に言うと、もう少し雨、降ってて欲しかったかも。そうしたら………」
「もう少し、君と一緒にいられたのに」
交わされる視線。そっと繋がれる手。
「もしかして、ずっと同じ事思ってたのかな」
「ああ、そうらしい」
二人、苦笑して歩き続ける。
――突然の雨の日も、愛おしいもので。
人間ってずいぶんと自分勝手なもので、こんな風に少しでも長く一緒にいられる時間を作ってくれた雨に、感謝したくなる。
いつもは疎ましく思う突然の雨も、今の二人には幸せを与えてくれるから。
そして、強く願う。
願わくば、いつまでも一緒にいられますように、と――。