『Weihnachten ~Das erste Jahr~』
きっとこの先何年経っても、二人で過ごした今日という日を忘れないだろう――。
俺は隣を歩く香穂子を見ながら、そんな事を思った。
今日一日、クリスマスという色に染まった街を二人で回り、今はその帰り道。宵闇の中、静かに降る雪にどちらからともなく手を繋ぎ、ただ互いの温もりを感じながら歩き続けている。
今という時が終わらなければいいのにと、そう考える程に彼女と過ごした今日という日は色鮮やかで、繋いだ手を離したくないと思ってしまう。
それでも、動き続ける時間が止まることはなく……。
「……もうすぐ君の家に着くな」
「そうだね……」
次の角を曲がれば、間もなく彼女の家に辿り着く。
俺の言葉に香穂子は歩くスピードを緩め、そして立ち止まった。
「…………ねぇ、月森くん。もう少し、一緒にいたいって言ったら迷惑かな?」
足元を見つめながらつぶやき、繋いだ手にほんの少し力が込められる。言葉の通りに離れたくないのだと――同じように思ってくれているのだと嬉しさを覚えながら、俺は首を振った。
「迷惑なはずがない。出来れば俺も、この時間を終わらせたくはないと思う。……だが、もう遅い時間だ。君の両親が心配しているかもしれない」
「そう……だよね」
「ああ……」
それきり言葉は続かず、俺達はその場に立ち尽くした。
どちらかが歩き出せば先へと進めるのだろう。それでも、俺も香穂子もその場を動けずに、ただ静かに降る雪と互いを見つめる。
終わらせたくない時間。今日という日。
同じ時を二人で過ごす愛しさを知ってしまった今、別れ難さを強く感じ、歩き出すことが出来ずにいる。
――どれぐらいそうしていたのかは分からない。
けれど香穂子の髪に雪が積もっていくのを見て、俺は彼女の手を引いた。
「……このままこうしている訳にはいかないな。そろそろ行こうか」
「あ……」
グッと力が込められ、軽く引いただけの手はあっさりと止められる。
「香穂子……?」
名前を呼んで疑問を投げ掛ければ、彼女自身も戸惑ったような顔をしていて。
「ご、ごめんね。その、なんか反射的に……。また会えるのにね」
そう言いながら苦笑する香穂子に、心がざわつく。
『また会える』。
それは、明日にでもそうしようと思えば叶う事だ。だが、留学を前に俺達はあと何度こうして同じ時を過ごせるのだろうか。
ウィーンに行けば、簡単には会えない。こうして言葉を交わすことも、触れ合うことも出来ず――。
「本当にごめんね、月森くん。もう本当に帰らなきゃだね」
「……香穂子」
「え……?」
繋いだ手を自分の方へと引き寄せる。それは半ば反射的な行動だったが、そうしたいと願う心のままに、俺は香穂子を抱きしめた。
「突然すまない。だが、あと少しだけ……こうさせていてくれないか」
「……うん」
「ありがとう」
委ねられた確かな温もりに安堵しつつ、同時に先にある別れを強く意識させられる。
彼女がヴァイオリンを続けると――同じ音楽の道を歩んでいくのだと答え、いつかはその日が来るとは分かっていても、それまでは別々の道を歩くことになる。
それがいつになるのかは分からない。ただ、彼女と過ごした時と比較にならないぐらい、長い時間を必要とするのだろう。だからこそ、俺も香穂子も別れ難さを感じているのかもしれない。
(離したくない……)
そう願い、香穂子を抱きしめる手に力がこもる。
彼女を帰さなくてはいけないと思うのに、感情が邪魔をしてそれきり動けずにいると、香穂子の声が耳に届いた。
「……ねぇ、月森くん。約束しない? いつかまた、こうしてクリスマスを二人一緒に過ごそうって」
「クリスマスを、二人で一緒に……?」
「そう。来年は無理かもしれないけれど、その次の年とか! ……ほら、その頃には月森くんを追いかけて、ウィーンに留学しちゃってるかもしれないし」
「……そうだな」
香穂子の言葉に、思わず口元が緩む。
『いつか』という不確かな時が、彼女の言葉で確かなものへと変わっていく。
「本気だよ。頑張って追いかけてみせるから、だから――」
そこで言葉を切った香穂子に手の力を緩めると、小指がさし出された。
「……ね、約束」
「ああ」
小指を絡め、この先のクリスマスを共に過ごすことを誓う。
「その時は、二人で一緒に過ごそう。このクリスマスという特別な日を」
返事の代わりに胸に顔をうずめた香穂子を抱きしめ、目を閉じた。