『First Kiss』



「……仔猫ちゃん? それ、早く食べないと溶けちゃうよ」
「へ……?」
 声を掛けられ、私はスプーンでつついていたパフェに視線を落として目を見開いた。
 いつの間にかソフトクリームが溶け出していて、綺麗にトッピングされたフルーツがクリームの海に溺れかけている。おまけに溶けたそれは器から溢れそうになっていて。
「あっ……、やだ……!」
 慌てて口に運ぼうとしたけれど、スプーンを差し込んだだけで溢れ、器に添えていた手が汚れてしまった。
 冷たいやら情けないやらでため息をついておしぼりに手を伸ばす――と、その前に漣が私の手を取り、自分のおしぼりで丁寧に拭ってくれた。
「ご、ごめんね」
「ふふっ、そんな事気にしなくてもいいよ。それより感動の再会をしたのに考え事なんてひどいんじゃないかな」
「それはっ……」
 言い訳をしようとして言葉を飲み込む。
 ドロドロになったソフトクリームを口に運んで間を繋ぎながら、私は何気なく漣を見た。
(やっぱり……夢じゃないんだよね)
 ふとした間に消えてしまうんじゃないかと思って目が逸らせない。
 それは――。
「……だって、夢みたいだから」
 一通りパフェを口に運んで私はやっとの思いで言った。
 そして今までの事を思い出す。
 退魔師として男装をし、潜り込んだ青領舘高等学校で漣と出会い、無意識の内に彼に惹かれた。
 一緒にいる事が当たり前になっていって、距離を置かれた時にはひどく心が痛んで。
 その時は漣に対するこの気持ちが何なのか分からなかった。けれど……。
 彼を失って初めて気付いた。胸にぽっかりと開いた大きな穴。
 いつの間にか漣の存在は私にとって大切なものになっていて。
 失った事で初めて気付いた、彼に対する自分の心。
 それが恋だと知り、私は涙が涸れるまで泣いたのだ。
(もう、二度と会えないと思ってた……。それなのに――)
 あれから数ヶ月経った今、漣はほんの一時間前にひょっこり現れた。
 嬉しいけれど、どこか夢心地で現実感がない。だからこそ見入ってしまったのだ。
「夢じゃないよ」
「漣……」
 私の不安な心を感じ取ったのか、漣が私の手に触れて微笑みを浮かべる。
「さっきも言ったけど、僕は人としてここにいる。要ちゃんの側にいるから」
「うん……うん…………」
 ぽろぽろと涙が零れ落ちていくのを止められず、私は何度もうなずいた。
 漣の手の確かな温もり、耳に届く優しい声。
 彼を失ったあの時からずっと望んでいたもの。痛い程に心が切なくなる。
「もうどこにも行かないで……。側にいて……」
 知ってしまった恋心は止める事が出来なくて思うままに告げると、漣は困ったように笑った。
「困った仔猫ちゃんだね。……そんな風にされちゃうと――」
 言葉が途切れ、カタンと音を立てて漣は立ち上がった。
 戸惑いながら見上げると、漣がテーブルに片手を付いてもう一方の手を私の頬に添える。
「え……? ――っ!!?」
 身を乗り出し、顔を近づけた漣はそのまま私に口付けた。
 目を見開いた私は、数秒間それがキスだと分からずにただ硬直していて。やがて起こった出来事を理解した時、同時に漣が離れてふっと微笑んだ。
「……約束。君が望む限り、僕は側にいるよ」
「や、約束って……」
 肩が小さく震える。
「ん? どうしたの、要ちゃん」
「どうしたもこうしたも……あるかぁぁぁ~!!」
「か……要…さん?」
 私の怒声に気圧されたのか、漣が体を小さくして私を見る。
 まるで茂みから顔を覗かせ、恐る恐る様子を見る狐みたいで思いがけず可愛いと思いながらも、湧き上がる怒りを抑えられずにダンッとテーブルを叩いた。
「あのねっ! 仮にもファーストキスだったのよ!? それをこんな不意打ちでしちゃったりして……!! しかもこんなお店の中で――……っ」
 怒りに任せて漣に怒鳴り……そして気付いた。そう、ここは店の中でつまりは他の人がいて――。
 その事実に気付いて辺りに視線を巡らせると、店内総ての人がこちらに注目していた。
「あ……、あのっ…………」
 熱くなる頬を押さえながらはくはくと口を開き、助けを求めて漣を見る。
 けれど漣は嬉しそうな顔をして私を見つめていた。
「そっか、要ちゃんはファーストキスだったんだね。じゃあ、これからは僕が君の総ての初めてをもらう事が出来るんだ」
「なっ……なんて事言ってんのよ! もう、知らないんだからっ!!」
 溶けかけのパフェも嬉しそうに笑う漣も全部置き去りに私は店を出る。
 外は寒くて吹く風は冷たいけれど、今の私には丁度いい。
 熱くなった頬を早く冷まして欲しいと思いながら早足で歩いていると、後ろから駆け寄る足音が聞こえてくる。
「…………漣のバカ」
 言葉とは裏腹に緩む口元。
 突然のキスに怒ったのは場所とタイミングが悪かった所為で。キス自体は嬉しいと思ってしまったのだから。
 恋なんて厄介だと心の中でつぶやきながら、私は立ち止まって振り返り、漣に向かって微笑んだ。