最近、よく同じ夢を見る。
 小さな子猫が私を見上げて小さな声で『にゃお』と、か細い声で鳴いている。
 その様子がどこか寂しそうで手を伸ばすと、するりと逃れて走り出してしまう。
 どこか放っておけなくて追いかけると、途中で目が覚めて――……。



   『夢診断』



「ん~、気になるなぁ……。なにか意味があるのかな?」
 花梨は一人、布団代わりの単を抱き込んでゴロゴロと右へ左へと寝返りをうつ。
 日はとっくに昇っていて、花梨自身いい加減に身支度を整えて起きなければと思うが、ここの所立て続けに見る夢の内容が気になって仕方ない。
 考えても答えなど出ない事は分かっているけれど、それでも考えずにはいられなかった。
 毎夜のように見る、子猫の夢。
 仮にも龍神の神子である身だ。続けて同じ夢を見るという事は何か理由があるのかもしれない。
「意味があるとしたら、どんな意味なんだろ……」
 はぁ、とため息一つついて、そして花梨はもう一度大きなため息をついた。
「……それにしても、今日も彰紋くんは忙しいのかな?」
 二度目のため息の原因である彰紋を思い、花梨は表情を曇らせた。
 花梨が龍神の神子として、京の都を救ったのはもう三月も前の事。
『僕、あなたのことが一番大切です。だから一緒にいてくれませんか?』
 総てが終わった時に想いを寄せ合っていた彰紋からの言葉に、花梨は喜んでこの世界に残る事を選択した。
 穏やかな時が流れ始めた京。
 そんな時間の中で花梨は彰紋と二人で一緒に歩いていけたらと、共にいる事を願ったが、東宮という立場の彰紋は京の復興の為に日々奔走している。
 時々折を見て花梨のもとに訪れてくれてはいるが、半日もいた試しがない。
 彰紋自身がその日の別れを告げる時に寂しげな瞳をするので、『会いたい』などと口に出した事はないが、それでもこんな風に不可思議な夢を見て少し不安な時は側にいて欲しいと思う。
「彰紋くん……。会いたいよ……」
 ぎゅっと単を握り締める。
「もう、一週間も会ってないんだよ? 寂しくて死んじゃいそう……」
 邸にいる紫や深苑とは毎日顔を合わせ、千歳や他の八葉がたまに会いには来るものの、やはりこの世界に残ると決断した程に好きになった彰紋と会えないという事実に、花梨の瞳から涙が溢れた。
 家族も友達も住み慣れた世界を捨て、この世界に留まった事は後悔していない。それでも心の拠り所である彰紋が傍に居ないと心が揺らぐ。
「……っ」
 小さく体を丸め、肩を震わせて泣きじゃくる。
 次々と溢れる涙は止まる事を知らず、感情のままに泣き続けていると、御簾の向こうから紫の声が届いた。
「おはようございます、神子様。今日は彰紋様がお見えで――」
「彰紋くんがっ!?」
 ガバッと単を跳ねて起き、花梨は涙を拭う事も忘れて紫の前に立つ。
「本当に、彰紋くんが来てくれたの?」
「えっ、ええ……。けれど神子様、そのお姿は……」
 寝癖のついたままの髪。寝乱れた寝衣。そして涙に濡れた顔。
 目を丸くして言葉を失う紫に掛ける言葉すらなく、花梨は居ても立ってもいられなくなり、駆け出した。
「あっ、み、神子様……!!」
 紫の制止を振り払い、向かうは彰紋の元へ。
(彰紋くん……彰紋くんっ……)
 何度もその名を呼び、邸の中を走り抜け。そして――
「花梨さんっ……!?」
 客間に通されて待機していた彰紋が、驚いて立ち上がる。
 その胸の中に、花梨は勢いよく飛び込んだ。
「……彰紋くんっ、会いたかった! ずっと……待ってたんだよ?」
「花梨さん……。僕も会いたかった。……ああ、あなたをこんなにも泣かせてしまってすみません」
 彰紋は泣き濡れた頬に触れ、優しく微笑む。そして花梨の背に手を回し――ぴくりと手を震わせて動きを止めた。
「――彰紋くん?」
 いつまで経っても抱き返してくれない不満に花梨が顔を上げると、彰紋は困ったように笑って体を離した。
「その……。花梨さん、さすがにその格好は……」
「……あ」
 彰紋の指摘にようやく我に返った花梨は、頬を赤らめてうつむいた。
 生地の薄い夜着は、いくら恋仲と言えど問題がありすぎる。
「ごっ、ごめんね……!」
 慌てて背中を向け、花梨は体を小さくした。
 会いたい一心で飛び出してしまったとはいえ、いくらなんでも慎みが無さ過ぎる。
(もう、私のバカ……!!)
 先ほどとは一転、消えてしまいたいと思った花梨の背中に、ふわりと掛けられる一枚の衣。
「彰紋くん……?」
 掛けられた衣は先ほどまで彰紋が身にまとっていた表着で、振り返ろうとした花梨の体が後ろから着物ごと抱きしめられた。
「……花梨さん」
 耳に届く声。ずっと聴きたかった声に、花梨は体を小さく震わせる。
「ずっと、あなたに会いたいと思っていました。ようやくこうして触れる事が出来て、僕は……」
「……っ」
 ぎゅっと力強く抱きしめられ、花梨は息を呑んだ。
 彰紋の温もりが、声が、そして衣に焚き染められた菊花の香が。
 その総てが、今こうして手の届く所に在る。
「彰紋くん、私……」
 湧き上がる感情。その気持ちのままに「好き」と告げようとした花梨だったが、ふいに拘束を解いた彰紋に置いていかれる形で呆然とする。
 だが、彰紋が体を離した理由はすぐに解った。
 パタパタと近付く慌しい足音。
「神子様……! どうかせめてお召し物をっ」
 息を切らせて駆けつけた紫に、花梨と彰紋は顔を見合わせて苦笑する。
「ごめん、紫姫。さっき彰紋くんにも注意された所なんだ」
「もうっ、当然ですわ。……とにかく、神子様はお部屋に戻って身支度を整えて下さいませ。それから彰紋様をお通ししますから」
「うん、本当にごめんね。じゃあ、また後でね、彰紋くん」
「ええ、また後で」
 紫に背中を突かれて部屋に戻った花梨は、御簾を下ろして几帳の裏で彰紋に掛けられた衣を脱ぐとそれを見つめ、そっと抱きしめた。
「……うん、彰紋くんの匂いだ」
 もうすっかり覚えてしまった、そしてこの頃は疎遠だった菊花の香り。
「彰紋くん……」
 ずっと求めていた彰紋との時間。
 しばらくの時間衣を抱いていた花梨は、微笑んで衣を丁寧に畳んだ。
 顔を洗い、髪を梳かして着替えを済まして。泣き腫らした顔は、紫が薄化粧を施して綺麗になった。
「これでいいですわ。では神子様、彰紋様をお呼びしますわね」
「ありがとう、紫姫。……あ」
 いよいよ彰紋と話が出来る――そう思った花梨だったが、ふいに思い出した。
 この所、毎夜のように見た夢の事を。
 彰紋の訪問ですっかり忘れてしまっていたが、もしあの夢が何かを暗示するものだとしたら。そして仮に、彰紋に関わるものだとしたら。
 いい暗示だとしても悪い暗示だとしても、何か助言出来るのかもしれない。そう思った花梨は紫を呼び止めた。
「あのねっ、紫姫って夢診断というのか、夢占いというのか……って、出来る?」
「夢……ですか?」
 きょとんとした顔で、紫は首を傾げる。
「うん。この所、続けて同じ夢を見るの。もしかしたら何か意味があるのかなと思って、もし分かる様だったら教えて欲しいなって」
「そうですわね、簡単なものでしたら何か助言出来るかもしれません」
 紫の言葉に、花梨はきらきらと目を輝かせた。
「じゃあ、お願いっ! 彰紋くんと会う前に知っておきたくて」
「……では、どんな夢を見るのか教えて下さいますか?」
「えっとね、一匹の子猫が出てくるの。なんか寂しそうにしてて、いつも抱きしめてあげようとするんだけど逃げられちゃって……」
「他には何か……?」
「ううん、それだけなの。いっつも猫を追いかけてる内に目が覚めちゃって……」
「はぁ……。そうですわね」
 少しの間考え込んだ紫は、やがてすっと立ち上がった。
「え? 紫姫……?」
「神子様の見られた夢は、彰紋様に大きく関係がありますわ。ですから、彰紋様もご一緒にその夢の意味を聞かれた方がよろしいのではないかと思いまして。今、お呼びしてきますわね」
「ええっ、ちょっと、紫姫! 先に教えてくれないの?」
 慌てる花梨を置いて、紫は部屋を後にする。
 診断の結果はおあずけとなり、ますます不安の増した花梨は深いため息をついた。
「もし……悪い結果だったらどうしよう。なんか怖いかも」
 次から次へと、悪い考えばかりが脳裏を巡る。
 そしてすっかり花梨の表情が曇った頃、彰紋を連れて紫が部屋に戻ってきた。
「お待たせしました、神子様」
「花梨さん、失礼します」
「どうぞ……」
 答える声が暗く、彰紋は首を傾げて御簾を潜るとその眉根を寄せた。
 肩を落とし、見るからに元気がない。先ほどまでの様子とは正反対だ。
「一体、どうしたというのですか?」
 花梨の前に腰を下ろした彰紋に、本人に代わって紫が理由を説明した。
「先ほどの夢診断の件を気に病んでいらっしゃるのですわ」
「夢……診断?」
「ええ。この所、神子様は毎日同じ夢を見られ、その夢が何を暗示しているのか私に問われたのです。その結果は今からお話するのですが……」
「うん、彰紋くんと一緒に聞いた方がいいって。どうしよう、悪い結果だったら――」
「花梨さん……」
 不安げに見つめる花梨の手を取り、彰紋は微笑む。
「大丈夫です。どのような結果であろうと、僕が側についていますから」
「うん……。ありがとう、彰紋くん」
 見つめ合う二人に小さく咳払いをした紫は、気を取り直して二人の前に座った。
「いいですか、では結果をお伝えしますわね。神子様の見た夢ですけれど、子猫の夢は愛情を求めているのだといいますわ。愛されたい、また守られたいという気持ちが子猫の姿を借り、夢に現れるのだと」
「それって、つまり……」
 思いがけない結果に、花梨は言葉を失ってただ彰紋を見つめる。
「……この所、いつも以上に彰紋様はお忙しいご様子でしたし、神子様の彰紋様を求める気持ちが夢に現れたのでしょう」
「わ、わわっ、そんなっ……」
 顔を真っ赤に染めて慌てふためく花梨に微笑み、紫は更に告げた。
「彰紋様。神子様がそのような夢を見る事がないよう、よろしくお願い致しますね」
「……ええ、分かりました」
「それでは、私は失礼致します」
 退室していく紫を見送ると、彰紋は花梨に向き合った。
「花梨さん……」
 声を掛けると、花梨は赤く染まった頬に手を添えたまま、ぴくりと体を震わせた。
 夢に現れる程に強い思い。それは花梨自身の願望の現われ。
「あ、彰紋くん、そのね……」
 何とか弁解しようとする花梨だが、触れ合ったままだった手を握られ、言葉を呑み込む。
「……花梨さん。今まで寂しい思いをさせてしまってすみませんでした。ここの所、こちらに来られなかったのは今後の政について重要な決め事があった為で。……ですが、それもようやく落ち着きました。だから、これからは時間が出来るんです」
「えっ、本当に!?」
「はい。さすがに一日中という訳にはいかないのですが。でも、それでも良ければ……あなたが許して下さるというのなら毎日でも来ます。それと今日と明日は自由にしていいと院と帝に休暇を頂いていて――」
 次々と彰紋の口から告げられる、二人で過ごす事の出来る時間。
 ぽろぽろと零れ落ちる嬉し涙を拭い、花梨は笑顔を浮かべた。
「じゃあ、今日はずっと一緒にいられるんだよね。それに、これからも……。どうしよう、嬉しすぎて何から話したらいいのか分からないよ。私ね、今度彰紋くんに会ったら話そうって思ってた事がいっぱいあったんだよ」
「そうですね、僕も話したい事がたくさんあります。それに……」
 空いていた方の手が、花梨の肩に触れる。
「触れたいとも、思っていました。あなたは天女のような人だから、いつか消えてしまうのではないかと……。こんな僕に愛想を尽かして天へと帰ってしまうのではないかと不安で」
「帰らないよ! 帰る訳がないよ。だって、こんなにも彰紋くんの事が好きなんだから」
 あんな夢を見ちゃうぐらい、と続けた花梨の髪を撫で、彰紋は笑った。
「ええ、僕も花梨さんが好きです。いいえ、もう『好き』では足りないぐらいに……愛しています」
 見つめる瞳はどこまでも深く優しく、花梨を包み込む。その瞳に促され、花梨は目を閉じた。






 その日の夜、花梨は夢を見た。
 いつものように、子猫が花梨の前に現れる。その猫に手を伸ばすとするりと逃げられ……。
 そしてまた、いつものように子猫を追いかけるが、その先が違っていた。
 子猫は走り続け、そしてぴたりと立ち止まって上を見上げる。
『あれ? どうしたの……?』
 つられて子猫の視線の先を見た花梨は、あっと声を上げた。そこには、優しく微笑む彰紋の姿があったからだ。
 みゃお、と嬉しそうに鳴いた子猫を、彰紋はそっと抱き上げる。
 その手の中でぐるぐると喉を鳴らす子猫を見ていると、彰紋が花梨に気付いて微笑んだ。
『花梨さん』
 名前を呼ばれ、差し出された手を取るとあたたかなものが胸を満たす。

(ああ、幸せだなぁ……)

 夢か真か。花梨は夢現の狭間で微笑んだ。
 きっともう、一人ぼっちの子猫の夢を見る事はないのだろうと――。












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