『那岐と千尋ときのこ』
スーパーの生鮮売り場――きのこが並ぶ陳列棚の前。
買い物かごを持つ那岐は、真剣な表情できのこを見ていた。
黙っていれば美少年と言っても過言ではない那岐の姿に、周囲を通り掛かる主婦たちが注視していくものの、全く気にも留めずにきのこと対峙している。
少年ときのこ。
一見すると何の繋がりもなさそうだが、その実、彼を知る者にしてみれば関連の重要性は明らかで――。
「………あ、那岐!」
彼がその場に立ち尽くして数分が過ぎた頃、背後から聞き慣れた声が聞こえ、那岐は声の主を見た。
「千尋……」
同じ歳の同居人。近付く千尋は那岐が持つかごを見て、僅かに眉間に皺を寄せた。
「那岐、もしかして夕飯の材料を買いに来たの?」
「ああ。今日は僕が当番だしね。それに冷蔵庫の中、使いたい材料がなかったから。……で、千尋は?」
「うん、ちょっとね」
千尋は言葉を濁し、陳列棚のきのこに視線を投げた。
「……きのこを見てたんだね」
「ああ。エリンギかエノキ。どっちをメインにするのか考えてた」
「どっちにしろ、メインがきのこ……? もう、那岐が料理当番だときのこばっかりじゃない」
千尋にとって、エリンギもエノキもきのこである事に変わりはない。
きのこが嫌いな訳ではないが、毎回のようにきのこ料理が出されるとうんざりしてくるものなのだ。
実の所、スーパーを訪れた理由はきのこ料理を避ける為。
頬を膨らませ、千尋は那岐の持つ買い物かごに手を掛けた。
「せっかく秋で美味しいものがいっぱい出回ってるんだから、旬のものをメインにしようよ」
「それを言うなら、きのこだって今が旬なんだけど」
「う……。で、でも、きのこは一年中出回ってるじゃない。秋しか食べられないものを優先しようよ」
どうにかしてきのこを回避したい千尋はかごを引っ張るが、那岐は涼しい顔をしながらびくとも動かない。
「栗ごはん。あと、さんまが食べたいっ」
「千尋が当番の時に作ればいいだろ? 今日は僕が当番だからな」
「今日食べたいの! 当番代わってもいいから、きのこはやめておこうよ」
「千尋が何て言おうと、今日はきのこって決めてるんだ。これだけは譲れない」
「今日はきのこって言うけど、那岐が当番の時は必ずきのこが出るじゃない!」
「そんなの千尋の気のせいだろ」
「気のせいなんかじゃないよっ」
プルプルと細かく震えている買い物かごが、力の拮抗を物語っている。
買い物中の主婦たちの目線にも気付かず、互いの意思を譲らないとばかりに睨み合う二人だったが、ふいに力を緩めた那岐に、千尋は拍子抜けして彼を見上げた。
「……那岐?」
「あのさ、千尋。最近少し太ったんじゃないのか?」
「はぁ……!?」
あまりに唐突な話に固まる千尋。那岐はフッと笑みを浮かべ、頬を軽くつまんだ。
「ほら、前よりつかみやすくなってる」
「んにゃ……! にゃにするにょよ!!」
千尋は手を払ってキッと睨むが、勝ち誇った那岐の笑みに眼光が緩んだ。
那岐が指摘した『太った』というのは、実の所本当だったからだ。
「栗ごはんにさんま。それときのこを比べたら、どっちが低カロリーなのかは言うまでもないだろ?」
「うっ……」
かごを持つ千尋の手から力が抜け、那岐は手を伸ばしてエリンギとエノキの両方と、新たにしめじを加えてかごに入れた。
「じゃあ、帰ろうか。今日は千尋の為に特別にきのこづくしにしてやるから」
「ううっ、きのこづくし……」
脳裏にきのこばかりの食卓を思い浮かべ、肩を落とす千尋を見て那岐は小さく笑うと、レジに向かって歩き出したのだった。