『絆の証、幸せの形』


 私の仕事と言えば、ユリウスの手伝いと部屋の整理。
 それは、居候をしていた時――そして私がこの世界に残った今も変わらない。
 ああ、でも最近は部屋の整理だけじゃなくて家事全般か、と気付いて私は一人笑った。『まるで奥さんみたい』だと。
 そうして気付く。
 ユリウスは自分を『夫』と言い、そして私を『妻』だと言う。
 初めてそんな会話を交わしたあの夜。コーヒーの採点をしてくれなかった理由を話してくれたあの時。私たちの関係を新婚だと言ったあの瞳を思い出す。

『……そのうち、式はきちんとしてやる』

 そう言ったユリウスの言葉。
 その時はそんな大きなイベントなんかなくても、この日常が続いていけばいいって思った。それだけで十分過ぎるぐらいに幸せだと。
 今でもその気持ちは変わらないけれど、ほんの少しだけ思うのだ。
 ――幸せが、形になったのならと。
 こんな発想は夢見る乙女がするものだ、私には必要のないものと思っていたけれど、与えられる幸せに、それに近いものになってしまったらしい。
 結婚式なんて大々的なものはいらない。
 けれど、ユリウスと夫婦だという証を立てられたのなら……そこまで思考が行き着いて、私はブンブンと頭を振った。
 柄じゃない。そんな乙女思考、私には。
「バカみたい。さぁ、掃除しよっと!」
 本当にバカみたいな考えを振り払って、手を動かす。今日は外出をしているユリウスに、作業台の引き出しの整理を頼まれたのだ。いつまでもぼんやりしている訳にはいかない。
 気を取り直して作業台の前に立つ。
 いつもユリウスが使っている作業台。彼はここで、時計の修理をしている。
 そっと引き出しを開けると、細かな修理道具や特に大切な部品がしまわれている。こんなにも重要な物を扱う事を任されているという事は、それだけ信用されているという事だ。
「……ありがと、ユリウス」
 なんだか嬉しくなって感謝の言葉を口にすると、私は引き出しの中身を用意しておいた箱の中に移し始めた。箱の中には特に部品を傷つけないよう、布を敷いている。
 手前の物から少しずつ、丁寧に。
 そうして物を出していくと、奥の方に小さな箱が見えた。
 リボンの付いた、四角い小さな箱。
「あれ……? これ、何かしら?」
 明らかに、仕事関係ではなさそうなその箱を、手の上にのせてみる。片手で持つには少し大きく、両手だと小さい。
「ん~……」
 なんだろう、と考える。リボンが付いている事を考えると、プレゼントなのだろう。けれど、こんな引き出しの奥にしまっておくなんて。
「もしかしたら、昔の女の……」
 ピン、と思い当たる。ユリウスは人との接触を好まないが、私の知らない過去に女性関係もあったのであろう。そう考え付くと、途端にイライラしてきた。
「仕方ないわよ、昔の事なんて今更どうこうなる訳じゃないのに」
 そう自分に言い聞かせるが。
「……問題なのは、これをいつまでも女々しく持ってる事よね」
 本音が躊躇なく零れる。引き出しの奥にしまっておくなんて、見たくないもので捨てられないものか、よほど大切な物だ。
 私は後者だと決め付けて、リボンに手をかけた。シュルシュルと小さな音を立て、リボンが解けていく。
 完璧な嫉妬だ。ユリウスの過去に対する。
 相手のいない間に秘密を暴こうだなんて、本当に嫌な女だ――と私は内心でため息をついた。
 でも、私の手は止まらなかったし、止めようとも思わなかった。
「そもそも、こんな大切な物をしまってある場所を掃除させるユリウスがわる……」
 悪い、と言おうとして、私は言葉を失った。
 手の中の小さな箱。
 その中には小さなメッセージカードが入っていた。


   『アリス、おまえを愛している』


「………………………え?」
 その言葉を理解するまで、ずいぶんと時間が掛かった。
 アリス、というのは過去の女なんかじゃない。確かに私宛だ。
 震える手でメッセージカードを取り上げると、その下には大きさの違う二つの銀の指輪が入っていた。
「うそ……」
 その指輪が何なのか、誰に聞かなくともわかる。
 けれど信じられなくてカードと指輪を見つめたまま立ち尽くしていると、バタバタとした音と共に、息を切らせたユリウスが部屋に駆け込んできた。
「アリス、引き出しの整理はやめ……っ!?」
 呆然と私を見て固まるユリウス。どうやら彼は指輪の事を思い出して、慌てて戻って来たらしいが、もう遅い。
「あの、ユリウス……。これって……?」
 指輪の意味は、わかっている。
 でも、聞くしかなかった。彼の確かな言葉が欲しくて。
「――――っ」
 耳まで顔を赤くしたユリウスが、息を整えながら私の前に立つ。
「…………わかっているのだろう?」
「私の一方的な自惚れだといけないから」
 言葉を、とユリウスを見上げる。
 あくまで大人の女だというように淡々と言ってみたい所だが、顔がにやけてしまっている時点で無理な話だ。
 嬉しさが、実感を伴ってじわじわと心を満たす。
「……ね、言って?」
 待ち切れなくてそう促すと、ユリウスはコホンと小さな咳払いをして私を見つめた。
「――アリス。おまえは束縛を嫌うかもしれないが……私はおまえを、私だけのものにしたい。この指輪は、その証にと私が作ったものだ」
「えっ、ユリウスが……? いつの間に」
 正真正銘、ハンドメイドというやつだ。けれど、ユリウスが指輪を作っていた事に気付かなくて、一番の疑問を口にしたら、彼はフッと笑った。
「おまえが寝入った後に、こっそりとな。大変だったんだぞ? おまえを起こさないように作るのは」
 大変だったと言う割には、その苦労さえも幸せだとばかりに嬉しそうに微笑む。私も胸が苦しくなる程の幸せを感じて微笑んだ。
「知らなかったわ。そんな事してたのね」
「ああ。先日ようやく完成して、折を見て渡そうと思っていた。それなのにこんな形になるとはな」
「思わぬ事態、ってヤツ?」
「本当にな。だが、こうなってしまったものは仕方ない。アリス、どうなんだ?」
「え? 何が『どうなんだ』なのよ」
「だから……。この指輪を受け取ってくれるのか? それとも……」
 それとも、と続けようとするユリウスの声音はどんどん弱くなる。また勝手に悪い方に考えて、落ち込んでいるのだろう。
「なに言ってるのよ。こういう時の指輪っていうのは相手にはめてもらうものでしょう?」
 そう言って、私は左手を差し出す。
「はい」
「アリス……」
 ユリウスは私の行動の意味を問うような男ではない。即座に私の意志を汲み取り、指輪の一つを取り出すと、それを私の薬指にはめた。
 するすると銀の指輪は私の指を滑り、そして在るべき場所で止まる。
「……ぴったりね」
 変な所で感心すると、ユリウスは苦笑して左手を差し出す。
「別に言う事があるんじゃないのか?」
「そうね……」
 私は同意しながら残った指輪を手に持つ。私のものより大きな指輪だ。
 いつも私の頬を撫でてくれるユリウスの手。その薬指に指輪をはめると、これまた丁度いいサイズ。
「こんなに手先の器用な人が夫だなんて、私は幸せ者だわ」
 願っていた証。それをもらえた時にひねくれた言葉しか言えない自分だけど、ユリウスはこんな私を受け入れてくれる。
 私の言葉にユリウスは微笑み、頬に手を添えてきた。
「私も、おまえを娶る事が出来て幸せだ。これからもずっと私の側にいてくれ、アリス」
 愛している、と言葉にしなくとも伝わってくる。
 目を閉じて「私もよ」と心の中で答えを返せば、甘い吐息と共に唇が重なる。
 彼の仕事が『葬儀屋』と呼ばれるものでここがその仕事場だとしても、私たちにとっては一番大切で神聖な場所。
 ――誓いのキス、だ。
『そのうち、式はきちんとしてやる』
 そう言ったユリウスだけれど、私にとっては今が結婚式。純白のドレスでもないし招待客も誰もいないけれど、それでも――。
「…………アリス」
 顔を離し、彼はふわりと笑う。
「愛している」
「私もよ。あなたが好き。愛しているわ」
 本当は柄じゃない。でも、ユリウスの笑顔につられるように想いを告げた。
 心からの気持ち、あなたに寄せるこの想いを。


 左手に光る銀の指輪。
 約束された絆の証。幸せの形。

 私はあなたと二人、この世界で生きていく――。