『この心に咲く一輪の花』
心が急く。帰路を歩む足が、自然と速くなる。
見慣れた道の風景は視界に入らず、私は自分の住処である時計塔だけを見てそこを目指す。
急ぐ必要などないのに。仕事を終えて帰るという、当たり前の行動だというのに。
それでも、勝手に足は速くなる。
「……どうかしている」
小さく失笑しながら、私は歩き続けた。
ただ自分の部屋に帰るだけだ――そう何度も言い聞かせながら。
――しかし。
時計塔の階段を登り、私は気付いた。
息苦しい。慣れている筈の階段で息が上がっている。
理由は考えなくとも分かる。認めたくはないが、やはり私は急いでいるようだ。
「本当に、どうかしている」
脳裏に思い浮かぶのは小さな滞在者の姿。
彼女がここに来てから、どうにも調子が狂っている。
今もこうして、会いたい――などと思うとは。
「………………」
ため息をつき、視線を上げる。部屋はもう目前に迫っている。
私は呼吸を整え、そして階段を上がり始めた。今度はゆっくりと。
そうして辿り着いた扉の前に立ち、ゆっくりとノブを回す。
ギィ、と音を立てて開く扉の向こうには、見慣れた少女の姿があった。
少女――アリスは、私に気付くと笑顔を見せ、そして言った。
「おかえりなさい、ユリウス」
その言葉に、口元が緩む。
笑顔を向けられるだけで、帰りを迎える言葉を掛けられるだけで胸を満たすもの。
(……ああ)
私は今、どんな顔をしているのだろうか?
だが、そんな事を考えたのは一瞬で、気が付けばアリスを引き寄せ、抱きしめていた。
「ユリウス?」
少し驚いたような声音が届くが、構わずに私は彼女の肩に顔を埋めた。
「すまない、少しだけこのままでいて欲しい」
「……仕事、疲れたの?」
「少し、な」
答えながら、目を閉じる。
彼女の温もりを感じながら、そして私は自分の気持ちに気付いた。
早く会いたいと帰路を急いだのも、こうして触れていたいと願うのも。
心惹かれ、想いを抱いたからこそ。
(まさか、この私までが心を奪われるとはな……)
もう、認めざるを得ない。
――アリス、お前が好きだ。
この胸に抱いた想い。
お前は、この心に咲く一輪の花。