『誕生日の誓い』
「ダメです。卓さんはそこに座っていて下さい」
「ですが、片付けは私が――」
「ダメって言ったらダメなんです! い・い・か・ら、座って待っていて下さいっ!」
大蛇家の居間に珠紀の声が響く。
彼女が学校帰りに家を訪れ、晩ご飯を作って一緒に食事を取り、卓が片づけをして食後の一時をゆっくりと過ごす――そんな日常が初めて破られたのだ。
いつになく強く主張する珠紀に、卓は疑問に思いながらも苦笑する。
彼女は一度言い出したら引かない一面がある。きっと譲れない何かがあるのだろう――そう考えて、大人しく言葉の通りに待つ事にした。
一方の珠紀は卓が折れた事を覚り、食器を台所へと運んでいく。やがて静かになった居間に、水音と食器を洗う音が微かに届いた。
自分以外の誰かが立てる生活音。
長年、大きな家に一人で住んでいた卓にとってはどこか懐かしく、そして愛しい音となって耳に届くのだ。
卓は表情を緩め、微笑みを浮かべた。
珠紀が与えてくれる日常の小さな幸せに、心からの幸福を感じる。
そんな気持ちに浸りながら待っていると、やがて居間に顔を出した珠紀がニコリと笑い、「目を閉じて下さい」と告げた。
突然のことに首を傾げる卓だったが、ここも素直に従う事にした。
どこか悪戯めいた珠紀の笑顔。
たまには乗ってみるのもいいかもしれないと判断し、目蓋を閉じる。それを確認したらしい珠紀が立てる音に、卓は耳を向けた。
衣擦れの音が近付き、目の前のテーブルに何かが置かれたようだ。
「まだですからね。絶対に目を開けちゃダメですよ!」
念押しする珠紀に、卓は口元に笑みを浮かべながら「ええ」とうなずく。
そして珠紀の気配が少し遠くなり――。
「はい、いいですよ」
「…………これは」
珠紀の言葉に目を開けた卓は、用意された小さめのホールケーキに視線を落とした。
「誕生日、おめでとうございます」
「誕生日……? ああ、言われてみれば今日が誕生日でした」
「もう、まさかとは思ってたけど、やっぱり自覚がなかったんですね」
「ええ。長い事一人暮らしをしていると、そういう事には無頓着になってしまうんですよ。ああ、そういえば一つ歳を取ったな……ぐらいしか感じなくて」
卓は目の前のケーキと珠紀を順に見て、微笑みを浮かべた。
「もしかして、お祝いをしてくれるのですか?」
「当たり前です。今日は卓さんが生まれて来てくれた日ですから! ……今年だけじゃなくて、来年もその次も――私にお祝いをさせて下さい」
来年もその次も……という言葉に、卓は珠紀を抱き寄せ、頬に手を添える。
「……ええ。これから先の日々を、私と共に過ごし、こうして側にいてくれませんか?」
「す……卓さん、それ、なんだかその……。プロポーズ……みたいに聞こえるんですけど」
「そのつもりですよ? それに、あなたの言葉も十分そう聞こえましたが」
にこにこと微笑む卓の腕の中で、珠紀は顔を耳まで真っ赤に染めてうつむいてしまう。
「……ねぇ、珠紀さん。返事をくれませんか?」
「………………っ」
返事を促す卓に、ゆっくりと顔を上げた珠紀の瞳は潤み、そっと閉じられる。
言葉に代わる答えに、卓は静かに唇を重ねた。