『君を守る誓い』(後編)
「――っ!」
バチン、と音がして頭の中で何かが弾ける。
「う……。ここ、は……」
体が重い。
それを感じながら体を起こすと、思いがけない光景が目の前にあった。
「君は……天蠱……!?」
まさかと思いながらもニタリと笑う少年に、嫌な汗が流れる。
(ヤバイよ……。心の準備もなく、いきなり対決だなんて!)
独鈷杵と呪符を構え――けれど、ひらひらと手を振った天蠱に、僕は緊迫感を削がれてしまった。
「やだなぁ、そんなに怖い顔をしないでよ。すぐにどうこうしようって思っている訳じゃないんだからさ」
「……はぁ」
構えをそのままに耳を傾けると、天蠱はパチンと指を鳴らした。
その途端。
暗闇に、琥珀色の結界に封じられた珠洲の姿が浮かび上がる。
「す、珠洲っ!」
「おっと、まだ近付いちゃいけないよ。そこにいてくれないかな?」
「……クッ」
威圧感を感じて、その場に踏み止まる。動いたら攻撃されると本能的に察知して、今は言われるままにするしかなかった。
(僕は……なんて無力なんだ)
彼女を目の前にして、何もする事が出来ないのだと。認めたくはないけれど、事実が突きつけられる。
悔しさを覚えながら天蠱を睨み、僕は問いかけた。
「……珠洲は無事なのか?」
「命に別状はないよ。今の所はね。……まぁ、気はごっそり吸い取ったから弱ってはいるけれど」
まるで何かを楽しむように。口元に笑みを浮かべる天蠱は何を目的としているんだろうか。
珠洲を助けに来た僕を殺すつもりもなく。彼女を盾にして状況を楽しんでいるように見える。
だからこそ。
「それで、僕に何をさせようっていうんだい?」
そう切り出すと、天蠱はニッと笑った。
「……ふぅん。お兄ちゃんは面白いね。もっと取り乱すかと思ってたけど。悪夢から覚めるのも、後から来たのに守護者の中では一番早かったよね」
「他の守護者達は……」
「まだ悪夢の中だよ。どうせ今頃、玉依姫が死ぬ夢でも見ているんじゃない? まったく、揃いも揃って同じような夢をみてさ。つまんないってワケ。だから、暇つぶしにゲームでもしようよ」
「ゲーム……?」
「そうだよ。お姫様を目覚めさせるゲーム。……この結界、本当を言うとかけられた本人にしか破れないものなんだよ。心から悪夢を否定して打ち勝つことが出来れば、解ける仕掛けになっているんだけど。どうやら玉依姫は、悪夢に打ち勝つ事が出来ないみたいだね」
「……珠洲っ!」
どんな悪夢を見ているのか、結界の中の珠洲は悲痛な表情を浮かべている。
歯痒い思いで彼女を見ていると、天蠱が結界をコンコンと叩いた。
「そうそう。耳はね、聞こえているはずなんだよ。人間、眠っていても無意識に音は拾っているからね。だから、お兄ちゃんが目を覚まさせるように声を掛けたらいいよ。他の守護者が来るまで時間をあげるからさ、やってみなよ」
「…………わかった」
天蠱が何を思ってこんな『ゲーム』を提案したのか分からない。
けれど、状況を面白がっている様子から、僕には到底出来はしないと思っているのだろう。
さしずめ、他の守護者達が駆けつけるまでの前座といった所か。
(……珠洲)
僕は結界に閉じ込められた彼女を見つめ、深く息を吸った。
一つだけ。天蠱は見落としている事がある。
僕と珠洲はこの一年、想いを通い合わせてきた。
不器用で、恋人として上手く振舞うことは出来ていないかもしれないけれど。重ねてきた絆は揺るぎないもの。
僕が見た悪夢は、珠洲に嫌われること。
きっと。きっと彼女も――。
そう考え、僕は珠洲に呼びかけた。
「珠洲、聞こえるかい? 僕の声を聞いてくれ。……僕はここにいるよ。だからもう、大丈夫さ。典薬寮若手ナンバー1のこの僕が、君を護るから」
想いを込めて。
悪夢に苦しむ珠洲に届くようにと言葉を続ける。
「もし、僕が君を傷付けるような夢を見ているのだとしたら。それは絶対に嘘だから。僕は君が……好きだよ。……思い出してくれないかな。僕と君が一緒に過ごした時間を。僕はこれからも同じように……いや、もっと一緒にいたいんだ。だから、珠洲っ! 僕の声に応えてくれ……!!」
自らの力で、悪夢を打ち消して欲しいと。叫んだ僕の前で、天蠱が表情を変えた。
ピシッと結界に亀裂が走り。
次の瞬間、それは粉々に砕け散る。
「……っ、珠洲っ!」
束縛から解放され、ゆるりと崩れ落ちる珠洲に走り寄り、僕はその体を抱き止めた。
「珠洲、珠洲っ……!」
「…………あ、やす……のり…く…ん」
うっすらと目を開けた珠洲は、僕を探して視線をさ迷わせる。
「ああ、ここにいるよ。だから安心してくれたまえ」
「……私、ね。声が聞こえて……。だから――」
「ああ、わかってる。今は何も言わなくていいよ」
珠洲を抱きしめて。そして僕は片手で宝具を構え、天蠱と対峙した。
彼女を救い出したからといって、これで終わりじゃない。
案の定、天蠱は思いもよらなかったという様子で怒りを露にしている。
「ハハッ……。予想外だったよ。まさか結界が本当に破られるなんてね。……ちっとも面白くない展開だよ。――お遊びはもう、おしまいだね」
乾いた笑いと温度の下がった声が空間に響く。
空気がずいぶんと冷えたものに変わっていき、緊張感が満ちていく。
向けられた殺気を感じ取ったのだろう。小さく震える珠洲をぎゅっと抱き寄せ、僕は彼女を安心させるように言った。
「大丈夫だよ。君は必ず僕が守る。僕は玉依姫の盾。……絶対に、珠洲に手出しはさせない」
宝具の力を解放し、翡翠色の障壁を展開させる。
次の瞬間。
「殺してあげるよ」
そんな言葉と共に、『力』が僕達に向けられた。
宝具を通して手に衝撃が伝わる。でも、耐えられると分かって障壁越しに天蠱を睨んだ。
守護者として覚醒した時は制御するだけで必死だったけれど、今の僕なら力をコントロール出来る。
無駄な力を消費しないように障壁を展開し続け。
やがて、攻撃が効かないと覚った天蠱は小さく笑った。
「……ふぅん。忌々しい力だね。でも、所詮は守りに徹するだけ。扱う者はただの人間って事は、力が尽きたらおしまいだよね」
「…………さぁ、どうかな?」
答える僕は、宝具を握り直した。
正直な所、疲労感は急速に強くなっている。長時間に及ぶ障壁の維持は、思ったより消耗が激しいらしい。
(でも、今解いてしまうと攻撃が……)
一度障壁を解除すると、次に展開するまで数秒の時間が空いてしまう。その一瞬が、今の状況では命取りになってしまうのだ。
僕に出来るのは、障壁を保持し続けて珠洲を守る事。
「保典くん……」
「大丈夫だよ。まだ……行ける……っ」
「ふふっ、いつまで持つかなぁ? じゃあ、行くよっ!」
再び向けられた力を受け止め、僕はただ前を見据えて宝具に力を込めた。
(ここで倒れる訳にはいかないんだ! あと少し。あと少し――)
希望を胸に、時を待つ。
他の守護者達がこの場に駆けつける、その時を。
珠洲が結界から開放された事で、他の守護者達も彼女の無事を覚って覚醒しているはずだ。
僕は珠洲を守ることしか出来ない。でも、戦う力を持つ彼らなら天蠱を打ち破れるはず。
(早く……来てくれっ!)
グラグラと揺らぐ意識を集中させ、障壁の維持に全力を注ぎ。
「……っ、うぅ……」
途切れそうになる意識。
思いがけず膝が折れ、体勢が崩れてしまう。
「保典くんっ!」
悲痛な珠洲の声も遠くなってきて――。
もうダメなのか。そんな風に思い始めた時、ようやく転機が訪れた。
「…………天蠱っ!!」
「っく、ああぁあっ!?」
鋭い声と共に、天蠱が苦痛に顔を歪める。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。でもすぐに事態が好転したのだと知り、僕は障壁を解除した。
「メガネっ! 珠洲は無事かっ」
「珠洲ねーちゃんっ」
「姉さん、怪我はないか?」
「ああ、二人とも無事だね。良かったよ……」
「……まぁ、お前にしてはよくやったと言っておこう」
思い思いに声を掛けながら、五人は天蠱と僕達の間に立つ。
「は……ははっ。遅かったじゃ……ないか……」
「いいから後は任せて休んでおけ。天蠱は俺たちが倒す!」
そう言ったのは誰だっただろうか。
言葉を返す事ができず、僕の意識はそこでぷっつりと途絶えてしまった。
*
「う……ん……」
遠くで音が聞こえる。
これは……何の音だろう? そう思ってうっすらと目を開ける。
焦点の定まらない目でぼんやりと虚空を見ていると、ふいにエリカの顔が視界に入ってきた。
「エリカ……?」
「……やっと起きたのね」
「やっと起きた……って、そうだ、珠洲はっ!? 天蠱やみんなはどうなったんだ?」
途絶えた意識。
その後どうなったのか状況が分からず、急き立てるようにエリカに問い掛けると額をガツンと殴られた。
「いっ……!?」
「あ~、うるっさいわね! あんたの霊力、底を尽きかけてるんだから大人しく寝てなさい!」
有無を言わさずといった様子で布団に押し込められ、身動きを封じられてしまう。
霊力が底を尽きかけている――そう言われて自覚すると、一気に体が重くなった。
「今からあんたの知りたい事を全部言ってあげるから、そのまま大人しく聞いていなさい。……まず、ここは祭り本部の詰め所よ。珠洲が目覚めたらすぐに祭りに行けるようにって、みんなで相談してここに休ませているの」
「ああ、この音は祭りの……って、ここに……珠洲も?」
エリカの言葉に横を向くと、並べられた隣の布団で彼女が眠っていた。
「天蠱には逃げられたわ。でも復活は難しいぐらいに打ちのめしたって。……それで、ここからが肝心なんだけど」
ふぅ、とエリカは息をついて、言葉を続けた。
「天蠱の件は解決したとして。問題なのはこの状況よ。あんたと珠洲を同じ場所に置くのはどうかってちょっとした会議になったんだけど……」
そんな話を振られて、内心で納得する。
いくら恋仲とはいえ、他の守護者はいい顔をしないだろう。
でも、実際は隣にいる。それを不思議に思って僕は話の続きに耳を傾けた。
「まぁ、肝心な所で戦線離脱したとはいえ、実際に珠洲を救い出したのは保典だって話になって。珠洲も気を奪われて明日まで目覚めそうにないし、あんたもボロボロだしね。変な事にはならないだろうって結論で、この状況な訳よ」
「……失敬だな。言われなくたってあんな事件があった後で、不埒な事をしようなんて思わないさ」
「…………そこは私も強調しておいたわ。ま、それだけ珠洲は他の守護者達に大切に思われているのよね」
「大切にというより、単なる嫉妬じゃないか」
「それは言わない約束じゃない? ……とりあえず事情は話したし、私は事務所で休ませてもらうわね」
「おい、エリカ……っ!」
「なによ。せっかく二人きりにしてあげようっていうのに」
振り返ったエリカに、僕は身を起こして礼を言った。
「いろいろと……ありがとう」
「なっ……。急にお礼なんて言わないでよ。別に大したことはしてないし。……じゃあ、おやすみっ」
詰め所を出て行くエリカを見送り、僕は珠洲に視線を移した。
「少し……顔色が悪いみたいだ」
重い体を引きずって、珠洲に触れる。
本当に無事に帰って来れたんだと実感して。いつもと変わらない温もりに安堵した途端、涙が溢れた。
「珠洲……。すぐに助けに向かわなくてごめん。君を直接連れ帰れなくて……ごめん」
ただ守ることしか出来なくて。
あの場所から、外まで連れ出す事も出来ずに意識を失ってしまった。
「……ははっ。情けないな、僕は。こんなんじゃ彼氏失格……かな」
眠り続ける珠洲の前で、僕はしばらく感情のままに涙を流し。
やがて抗いようのない眠気に襲われて、布団に横になる。
(……こんな僕だけど。でも、僕なりに君を守るよ。何が起こっても、君を守り抜く。それだけは他の誰にも譲らない。だから――)
これからも側にいさせて欲しいと。
そう願いながら、僕は意識を手放した。