『無音の合図』
「じゃあ、少し休憩にしようか」
「……はぁ。疲れたぁ…………」
賀茂くんの声に、私はびっしりと埋まったノートから顔を上げて肩の力を抜いた。
一週間後に迫った期末テストに向けての勉強会。私とは違って成績優秀な賀茂くんは、もっぱら教える側へと回ってくれている。
「お疲れ様。今、紅茶を淹れるよ」
「あ、私がやるよ。賀茂くんは座ってて――っ!?」
面倒を見てもらってばかりだし、せめてお茶ぐらいは……と思って立ち上がろうとしたら、足が痺れて動けなくなってしまった。
「珠洲?」
「その、足が痺れちゃって……」
心配そうに見つめる賀茂くんに縋り、足を崩して一気に襲い掛かる痺れに耐える。
やがてじんじんとした痺れが少しずつ引いていき、無意識の内に掴んでいた賀茂くんの腕から手を離した。
「ご、ごめんね……? もう大丈夫だから」
情けなさと恥ずかしさを感じて立ち上がろうとしたけれど、まだ足の痺れは完全に引いていなかったみたいで。
奪われた感覚とひどい痺れに膝が折れて、賀茂くんの上に倒れ込んでしまう。
「どわっ!?」
「きゃ……」
急な事に、賀茂くんは私を受け止め切れずに床に倒れ込み、ゴンッと鈍い音を立てて頭をぶつけたみたいで。
「っ……」
「賀茂くん、大丈夫っ!? 本当にごめんねっ!」
これじゃまるで、いつか図書室の入り口でぶつかった時の逆みたい――そんな事を思いながら体を離そうとすると、反対にぎゅっと抱きしめられてしまった。
背中と腰に回された手に心臓が大きく跳ねる。ドキドキと速くなる鼓動を感じながら顔を上げると、はぁ、と息を吐いた賀茂くんが小さく笑った。
「痺れが取れるまで、このままでいよう。今動いても、多分同じような事になるだろうしね」
「う……、本当にごめん」
「謝る必要はないさ。そりゃあ少し痛かったけど、この状況は役得だからね」
「……もうっ」
恥ずかしくて視線を逸らすと、私を抱く腕に力が籠もる。
足の痺れは相変わらずだけど、なんだか幸せだな~……なんて思いながら顔を横に向け、胸に耳をあててみると、トクントクンと脈打つ心臓の音に不思議と心が安らぐ。
大好きな人の、胸の鼓動。
しばらくの間耳を傾けて、そして顔を上げると私を見る賀茂くんが幸せそうな表情をしていたから。
なんだか嬉しくなって、少しだけ体をずらしてキスをした。
「…………」
軽く触れるだけのキス。
自分からするのはちょっと恥ずかしくて。視線を逸らそうとしたら頬に手を添えられた。
「珠洲……」
「……ん」
再び重なる唇。何度かキスを交わし、やがて離れた温もりに寂しさを感じて、私は反射的に彼の服をきゅっと握り込んだ。
「……っ、あの……さ……」
「……え?」
「それ、初めてキスした時もそうだったよね。その……、引っ張るの」
「あ……」
言われて思い出す。最初のキスの時にも、彼の腕を引っ張ってしまったことを。
「…………あの時もそうだったけど、反則だよ。止められなくなる――」
「賀茂…く……っ」
重ねられた唇から熱が移され、無意識に開いた唇に口付けが深くなる。
「……っ、んっ…………」
息が上手く出来なくて横を向こうとするけれど、頬に添えられていた手が頭の後ろに回り、そうさせてくれない。
足に残った痺れとは比較にならないぐらい、頭の奥が痺れて体の力が抜けていく。
「――珠洲」
ふと顔を離した賀茂くんが私の名を呼び、ぐるりと視界が反転した。
熱に浮かされ、ぼんやりとした視界に私を見下ろす賀茂くんが映る。
「……ごめん。その……いいかな?」
言葉が示すことを解らない訳がない。
初めてのキスの時も聞かれたこと。今、この状況でその言葉が示す意味はたった一つ。
「…………賀茂くん」
答えの代わりに、彼の背を抱くように手を伸ばす。
「大好きだよ。だから……」
「珠洲……」
それ以上の言葉を交わすことが出来なくて。
私は小さくうなずき、背中に回した手で無音の合図をした。