『一週間分のコイゴコロ』
見事なまでに晴れ渡る空が広がっている。
部屋の窓から見上げた空模様に、私はため息をついた。
普通なら。休日である今日という日に、こんなにも晴々とした天気に恵まれたことを感謝すべきなのだろう。だが私は、前日の天気予報を裏切って雨が降ることを期待していたのだ。
降水確率は10%。
普通なら雨が降るなど考えもしない確率。それでも、ゼロではないから降る可能性がある。
(もう、今日で晴天は七日目。……そろそろ一雨来てもいいものを)
雲一つない青空、と表現するに相応しい空に、二度目のため息が零れる。
雨が降って欲しい、なんて切望する私は世間一般の感覚でいえばおかしいのかもしれない。
……それでも私は雨を願ってやまない。
なぜなら恋仲にある広瀬くんとの約束で、地域の皆様に突然降り出す雨で迷惑を掛けぬよう、晴れの日は触れ合うことを禁じているからだ。
(せっかくの休日で二人きりでいられる時間も長いのに……。これも精神鍛錬の一環だと自分に言い聞かせてきたが、そろそろ限界のようだ)
日を追うごとに彼を知り、一つまた一つと彼を好きになり。言葉を交わすだけでは足りなくなり、触れ合うことで互いの気持ちを確かめたくなる。
彼と一緒にいたい、触れ合いたいと心が求めていて。
こんな気持ちになるだなんて、恋というものを知るまでは想像もつかなかったし、よもや自分の感情をコントロール出来なくなるなど思いもしなかった。
我慢せねば……そう思う度に苦しくなる心。私は思いがけず自分の体をぎゅっと抱き締め――。
恋は盲目。
無意識の内に自分の体を抱きしめていた自分に、そんなことわざを思い返していると、ドアをノックする音が耳に届いた。
「……はい」
「俺だよ。菅野さん、今、いいかな?」
「広瀬くん……!」
聞き慣れた声にぼんやりとしていた思考が一気に動き出し、弾かれたようにドアの前に立つ。
「今、開けます」
言いながら引き戸を開け。そこに求めていた人の姿を認めた途端、チリチリと心の奥底で何かが焦れた。
広瀬くん、と彼の名を呼んでしまえば自分の中にある何かが動き出してしまいそうで。
それを抑える為に口を開けずにいると、広瀬くんが首を傾げた。
「……なんて顔してるの?」
「え……」
開口一番、掛けられた言葉に目を瞬かせる。
自分の気持ちを抑えることに必死で、どんな顔をして彼の前に立っているのかよく分からない。だから、「私は今、どんな顔をしているというのでしょうか」と返したら、彼は少し困ったように私の目を見返し、答えてくれた。
「えっと、一言で言えば泣き出しそうな……かな。何かを我慢してるんだけど、どうにかして欲しいって助けを求めてるような顔をしてる。……俺はそう感じたけど、そんな事思ってたりした?」
「…………はい。よく、お分かりですね」
心の内を言い当てられて頷くと、優しいまなざしが私を見つめている事に気付く。
「それだけ君のこと見てるつもりだからね」
「…………」
紡がれた言葉は心を浮き立たせ、頬に熱が集まるのが分かる。
嬉しく思いながら広瀬くんを見上げていると、ふいに彼は廊下に目を走らせた。
「あのさ、中に入ってもいい?」
「おおっ、もちろんです。すみません、訪ねてきて下さったのにこんな所で立ち話をさせてしまって」
「いや、それはいいんだけど。ほら、誰かが部屋の出入りをした時に見咎められると……ね」
「……? 何か問題でも――」
「ううん、こっちの話。それより、お邪魔します」
そう断りを入れ、部屋の中に入った広瀬くんはフゥ、と一つ息を吐いた。そうしてから振り返ると、私の目を真っ直ぐに見つめる。
「……それで、どうしたの?」
「どうしたの、とは」
「君が表情を曇らせてた理由。聞かせて欲しいんだ。俺が力になれるのなら、助けになるから。だから話して欲しいって思うんだけど、どうかな」
「広瀬……くん……」
掛けられる優しい言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。
ああ、泣き出しそうな顔をしているというのも本当なのだろう――彼の表現が自分の心境と一致するのを自覚しながら、私は心の内を言葉にした。
「もう一週間も、眠る時以外は広瀬くんに触れていないのです」
「…………うん」
「先ほども空を見上げて、あまりの晴天に心が苦しくなりました。ああ、今日も夜まであなたに触れることが出来ないのだと……」
「…………」
私の言葉を受け止める広瀬くんは、困ったような複雑そうな表情で私を見ている。
彼はこんな事を口にする私をどう思っているのだろうか。
不安になりながらも、溢れる気持ちを止めることなど出来なくて。
「こんな事を思うのはおかしいかもしれませんが、雨が降って欲しいと願ってしまう私がいるのです。……こんな事を言っても、広瀬くんを困らせてしまうだけとは解っているのですが、感情がついていけず。申し訳ない」
「菅野さん……」
溜め息混じりに名前を呼ばれる。
その声に改めて彼の目を見ると、真剣な瞳が私に向けられていた。
「触れたいって、具体的にはどんな? 内容によっては、雨を降らせないギリギリの所まで譲歩するから言ってみなよ」
「……まず、手を繋ぎたいです。それからぎゅっと抱き締めて欲しい。そうして髪を撫でて、私の名前を呼んで……キスをして下さい」
「うん、わかった」
「え……?」
「あー……、もう。俺だってずっと我慢して来たんだ。だから君にそんな事を言われたら――」
言葉半ばで困ったように笑い、広瀬くんは私の手を取って引き寄せ。
軽い力で私を引き寄せた後、そのまま指を絡み合わせて親指が優しく手の甲を撫で上げる。
「……まず一つ目」
「おおぅ」
彼が言った通りにリクエストに応えてくれようとしているのだと、その言葉と繋ぎ合った手が教えてくれる。
嬉しくて頬が赤く染まるのを自覚しながら顔を上げようとすると、目を合わせる前に更に引き寄せられて彼の腕に捕らわれた。
「そして二つ目」
言いながら抱き締める腕の力は、いつもより強い。
「あの、広瀬く……」
「黙って」
ぎゅっと掻き抱かれて一気に跳ね上がる鼓動。
彼も同じだったらいいのにと思い、合わさった胸に意識を向けていると、確認するより早く窓の外が暗くなった。
今にも降り出しそうな雨。
そちらに気を取られていると、髪に手を差し入れられてそのまま上向かされる。
「――風羽」
「……っ」
初めて呼ばれた私の名前。
突然の事で驚いた私に笑いかけ、広瀬くんは静かに目を閉じた。
(三つ目……)
彼の代わりに心の中でカウントをして視界を閉じる。
引き寄せられて、そして重なった唇に心が震える。
好き、と強く感じる心。
降り出した雨が窓を叩く。その音が、彼も同じ気持ちだと教えてくれる。
幸福という感情に満たされる中、そっと唇を離すとどちらからともなく笑みが零れた。
「…………雨、降らせてしまいましたね。ギリギリの所まで譲歩すると言っておられましたが」
「だって、君があまりにも可愛い事を言うから。それにもう一週間も我慢したんだし、そろそろ雨が降ったっていいと思わない?」
「ふふっ、それは同感です。……こうなったら一週間分の雨を降らせてあげようではありませんか」
「そうだね。じゃあ、続きをしようか」
「……はい」
もう一度手を繋ぎ合って。
強くなる雨音の中、私達は一週間分の想いを伝え合うように唇を重ねた。
お題『これって禁断症状?』 (Completion→2011.06.20)
お題提供先→