『Packed lunch【広瀬優希の場合】』 



「よし、午前はここまでとする。各自昼食を摂り、四十分後にここへ集合だ。小テストを開始するからな」
 講師の言葉を受けて、室内に張り詰めていた空気が一気に霧散する。それは俺も例外ではなく、参考書を閉じて無意識に詰めていた息を吐いた。
(あー、やっと半日終わった。……そういえば、今頃みんなは紅葉狩り、か)
 日曜日の今日、月蛙寮の住人に何故か千木良先輩を加えた一行は、秋の散策にと菅野さんの実家がある架牡蠣市に出掛けている。一方の俺は、学習塾の特別講習で一日ここに缶詰めな訳で。
 今頃はあちらも弁当を広げている頃だろう。朝早くから米原先生が台所に立ち、鼻歌交じりに行楽弁当を用意していた姿を思い出す。
(そういえば……)
 ふと、出掛けに先生と交わした会話が脳裏に浮かんだ。

『おっ、広瀬。今日は塾の予定と重なっちまって残念だったな。そんなお前にプレゼントだ』
『これって……弁当ですか?』
『御名答。一日中塾だっていっても、昼食は各自で用意するんだろう? そこで行楽弁当お一人様バージョンを作っておきました。キャッ、ミサたんったら気が利く~!』
『先生、朝からそのテンションはキツイものがありますけど』
『そうか? ま、とにかく持っていきなさい。広瀬くんの為のスペシャル弁当だからな。しっかり味わって食べるんだぞ』
『……ありがとうございます』

 朝のやり取りを思い出しながら、弁当箱を取り出して机の上に置く。
 実際、昼食は近くのコンビニで調達しようと思っていたから助かったのは確かだ。蓋を開けると、食欲をそそる色彩が目に飛び込んでくる。
(相変わらず、こういう気配りは普段見せる言動からは想像付かないぐらい繊細なんだよな)
 そんな事を思いながら箸をつけようとすると、後ろから肩を叩かれて顔を上げた。
「広瀬、コンビニに行かないか……って、なんだよ、弁当持ちかぁ」
「ああ、ごめん」
 そこにいたのは塾の仲間で、断りを入れると彼は弁当に視線を留めた。
「美味しそうだな……。お前の母親って料理上手いんだな」
「いや、これは親じゃなくて、学校の寮監督の先生が持たせてくれたんだ」
「マジか! こんな豪華な弁当を作ってくれる先生がいるなんて、羨ましすぎるぞ! きっと優しくて美人なんだろうな……」
「……はは」
 きっと彼の脳裏には間違いなく女性の姿が思い浮かんでいるのだろう。作り手が男だと伝えたらどんなリアクションをするのだろうかと思いつつ、曖昧に笑っていると、彼はもう一度弁当を見て、俺も今度から弁当作ってもらおうと言い残しコンビニへと向かっていった。
「さて、と。いただきます」
 気を取り直して箸を持ち。どれから食べようかと少し考えて卵焼きを選ぶ――と、いつもなら均一の厚さで巻かれているはずの断面が、少し不揃いなことに気付いた。
(珍しいな……。先生、考え事でもしながら作っていたのかな)
 別に気にするほどではないけれど、と考えながら卵焼きを口にすると、広がった甘みに違和感が強くなる。
(……違う。いつもの先生の味付けじゃない)
 甘めの味付けは変わらない。けれど先生が作ったにしては違う味と巻き方に疑問を覚えて、他のおかずにも手を伸ばす。
(やっぱり……。どれも米原先生の味じゃない。という事は、まさか……)
 全てのおかずの味を見て、ある可能性に行き当たる。

『広瀬くんの為のスペシャル弁当だからな。しっかり味わって食べるんだぞ』

 思い返せばそれは含みを持った言葉で。
「この弁当、もしかして菅野さんが……?」
 他に何か確証となるものはないかと弁当箱を持ち上げてみる。すると、箱の裏にメッセージカードが貼り付けられていた。

【広瀬くんへ。塾、頑張って下さい。風羽】

 短い文面が書かれたカードに、心がくすぐられる。
 きっと彼女は早起きをして、米原先生と一緒に台所に立って俺の弁当を作ってくれたんだろう。
(ああ、まずいな。……嬉しくて仕方ないんだけど)
 不意打ちのプレゼントに浮き立つ気持ちが抑えられず、窓の外に視線を投げると案の定、雨が降り出している。きっとコンビニに出掛けた彼も、今頃困っている事だろう。
(うわ~、本当にごめん。それに月宿市の皆さん、今日も突然の雨を降らせてすみません。あと、どうか架牡蠣市まで影響が及んでいませんように)
 この力の影響がどこまでの範囲かは分からないけれど、もし架牡蠣市に急に雨が降り出したなら、間違いなく帰寮して早々に罵声の嵐を浴びることになるだろう。容易に想像できる光景を思い描きながら、それでも目の前の弁当に口元が緩む。
「……まぁ、この際何を言われてもいいか。いただきます、菅野さん」
 好きな人が自分の為に作ってくれた、特別な贈り物。
 憂鬱だったはずの今日という日が、色を塗り替えられていくようで。
 帰ったら真っ先にお礼を言おうと決め、俺は彼女の手料理を口に運んだ。












2012.05