『彼と彼女の呼び名事情』 (フラジャイル/森井×宮崎)
「なぁ、あそこの二人ってどんな関係か当ててみようぜ」
宮崎との外食中、不意に聞こえた外野の声に森井は眉根を寄せた。
向かいの席に座る宮崎は食事に夢中で気付いていないようだが、恐らく自分たちのことだろう。ディナータイムの終わり際、店内の客はまばらで声の主たちの他に席に座っているのは自分たちと、外のテラス席で食事をしている一組だけ。
そしてもうひとつ心当たりがある。呼び名だ。
宮崎が自分を「森井さん」と呼ぶのに対し、森井は彼女を「宮崎先生」と呼ぶ。
先生という肩書きがつく職はいくつかあるが、歳下の女性に対して先生と呼ぶ事と敬語が混ざった話し言葉に興味を持たれてしまったのだろう。
会話を聞かれていた事もだが、関係性を揶揄されたように感じて不快感を抱いていると、宮崎が食事の手を止めて森井を見上げた。
「……森井さん、どうかしました?」
「別に何も」
「何もないって顔じゃないですよ。ほら、眉間に皺が……」
手を伸ばして眉間に触れた宮崎は本気で森井を心配している。無垢で素直で、どうしようもなくお人好しで。
だからこそ、他人に自分たちのことを――何より宮崎のことを詮索されるのが腹立たしい。
人の気も知らないで、と内心で呟き、そしてふと宮崎の手を取り指を絡めて小声で囁いた。
「智尋」
「ふぇ……っ⁉︎」
言葉にならない声をあげ、宮崎が数秒遅れて絡んだ指先に視線を落としながら口を開く。
「あの、今、名前……呼びました?」
「呼んだけど?」
「なぜ……とつぜん?」
状況に脳がついてきていないのだろう。宮崎の呆けた声と間の抜けた顔に何とも言えない気持ちがジワジワと込み上げ、森井は堪え兼ねたように笑う。
「なっ、笑わないでくださいっ! からかったんですね⁉︎」
手を離し、顔を真っ赤にして怒る宮崎だが森井から見れば怖さは微塵もなく、むしろ小動物のようにしか思えない。
「からかってはないけど、いい反応するなと思って。けど、そろそろプライベートで名前を呼びたいと思ってるのは本当だから」
「あ……えっと、その……。嬉しいですけど、慣れるまで心臓に悪いかも……」
頬を上気させ、パタパタと手で顔を仰いだ宮崎はふとその手を止め、じっと森井を見上げて言った。
「じゃあ私も呼び方を変えてもいいですか? その……久志、さん」
「――っ」
遠慮がちにそっと名を呼んだ宮崎に、今度は森井が動揺する。思いがけない展開に言葉を返せずにいると、宮崎は更に言葉を重ねた。
「確かに病院の外で『宮崎先生』って呼ばれるのは他人行儀な気がするから、嬉しいです。本当に森井さ……久志さんの彼女なんだなって実感するっていうか。あっ、でも仕事中に間違えて『久志さん』って呼ばないように気を付けないと、岸先生にどんな反応をされるか……」
至極真面目に自分に釘を刺す宮崎を見て、森井は口元が緩むのを抑えられず手で口を覆う。
本当は『智尋』と名前を呼び、自分を意識する宮崎の様子を男たちに見せつけ、詮索されるくらいならいっそのこと恋仲にあるのだと知らしめるつもりだった。それなのに宮崎は自分たちの立場や関係性を無意識ながら口にし、また森井が想い人なのだと態度で示している。
望んでいた答えは得られたであろうとチラリと男たちに視線をやれば、当てられたような顔をしていて。そんな彼らの様子に先程まで抱いていた苛立ちが霧散していき、森井は宮崎の話に相槌を打ちながら纏う空気を変えた。
思いがけない形となったが、名前呼びと宮崎の反応を得たこと。
先程までの機嫌の悪さはどこへやら。そんな様子に気付いた宮崎が表情を綻ばせるのを見て、森井は柔らかな笑みを浮かべた。