『桜』 (フラジャイル/森井×宮崎)
もう少し。あと少し。
宮崎は病院の渡り廊下を早足で歩きながら、森井の背中を追った。
今日のクジ引きに負け、買い出しに向かった彼を見送って。ふと窓の外に視線を投げて気付いた。
綺麗な青空と満開の桜。
この光景を彼にも伝えたいと思い、気付けば後を追っていた。
けれど。
「……森井さん、どこかに行っちゃったのかな。なかなか追いつけない」
上がる息を自覚しながら、宮崎はいつもの買い出しルートを辿り続ける。
すぐに追い付けると思ったのに森井の姿は先になく。萎む気持ちに足を止めかけたその時、ようやく彼の後ろ姿を見つけた宮崎は安堵の表情を浮かべた。
「森井さ……」
ふと彼が立ち止まり、窓の外に視線を投げる。その横顔がどこか硬いように見えて、チクリと心が痛んだ。
彼は何を見て何を考えているのだろうか。
自分が困った時にフォローしてくれる彼に返せるものはないかと考え、そして宮崎は頭を振った。
どうしたんですか、なんて言葉は望まれないだろう。自分は彼より年下で経験も浅いのだから。
だからせめて、自分らしくできる事を――。
宮崎は呼吸を整え、そして明るい声で彼の名を呼んだ。
「森井さん!」
「……宮崎先生? なんでここに? 買い出しなら俺一人で十分な量ですけど」
「えっと、一緒に花見を……と思いまして」
「花見……?」
「はい! あ、ほら。ここからちょうど見えますけど、桜が満開じゃないですか。いいお天気だし、外で花見をと思ったんです。一緒にどうですか?」
「その為にわざわざ俺に声を掛けにきたんですか?」
「はい」
頷く宮崎に森井は目を瞬かせ、そしてクツクツと笑った。
「本当に宮崎先生って変わってますよね」
「最近、よく言われるから否定は出来ません」
「……いいですよ。買い出しの後で寄って行きましょうか」
「本当ですか⁉︎ あ、花見団子とか売ってるかな?」
「食い気優先かよ」
「ちゃんと桜も見ますから」
頬を膨らませると森井が笑う。その表情には先ほどの憂いは見られない。
他愛ない話をしながら並んで歩き、そして気付く。森井が自分のスピードに合わせて歩いてくれている事に。
青い空と満開の桜と。
その光景を一緒に見たいと思った彼の横顔を見上げ、宮崎は口元を緩めた。
*
「……はー、きれい。やっぱり見に来て良かったです」
ベンチに腰掛け、荷物を横に置いた宮崎は青空に映える満開の桜を見上げて目を細める。
「買った団子を食べますか? 宮崎先生は花より団子でしょう」
「もう、それは忘れてくださいっ」
ぷくりと頰を膨らませた宮崎に森井は口の端をあげ、隣に腰掛けて煙草に火を付けた。
「ちょうど今日が見頃ですかね。明日、予報通り雨が降ったら一気に散るだろうし」
「なんで毎年綺麗に咲き揃う頃に雨が降るんですかね。あっという間に散っちゃうのが残念すぎて……」
「昔の人はそれも風流だと楽しんでたそうですよ。桜雨とか桜流しって呼ぶらしいですけど」
「へー、森井さん詳しいですね」
「たまたま天気予報のコーナーでそんな話があったんで」
澄んだ青空の下、桜を前に雑談を交わしていると強い風が吹いて花弁が舞い散る。
まるで桜吹雪といった光景に宮崎が目を瞬かせていると風が止み、森井は笑んだ。宮崎の団子状にまとめた髪に桜の花が一輪、引っかかっている。それはまるで髪飾りのようで。
外してやろうかと手を伸ばしかけ、もうしばらくそのままでいいかと思い留まる。
素朴な彼女を彩る桜の花。
森井は桜の木を見上げる宮崎を眺め、柔らかな表情を浮かべた。