『とある休日の言葉遊び』
「亜貴。こっちへおいで」
「…………」
「……そう、いい子だ。そのままじっとして」
「………………」
「なに? ……もしかしてここが気持ちいいの?」
「………………っ」
「ふふっ、その顔はもっと続けて欲しいって思ってるよね。仕方ないな……。ほら」
「………………ストップ! なんかこれ以上は無理っ!!」
土曜日の午後、白原の自室に亜貴の声が響き渡る。
ゆるゆると手を動かしていた白原は、声と共にシャツの袖を引っ張られ、少し驚いた様子で亜貴を見た。
「どうしたの、亜貴ちゃん。何がこれ以上無理なの?」
「何がって……」
頬を赤らめ、口ごもりながら視線を落とした亜貴は、つい今しがたまで白原が触れていたものに複雑な表情を浮かべた。
彼の膝の上でくつろぐ、一匹の白い猫。亜貴と同じ名を与えられた子猫だ。
以前、家から逃げ出してしまったという猫を一緒に探した時に知ったのだが、白原は『亜貴』をずいぶんと可愛がっているようで。
実際に目の前で可愛がる姿を見て、最初は微笑ましく思っていたのだが、同じ名前とどこか意識させられる言葉掛けに耐え切れなくなってしまったのだ。
一見、猫を可愛がっているだけのはずだが彼の事だ。意図的に言葉を選んでいるのだろう――そう思いながら、指摘すれば揚げ足を取られる気がして、下手に答えを返せない。
「……亜貴ちゃん?」
「な、なにっ!?」
「ねぇ、一体何が無理なのかな?」
顔を覗き込みながらクスクスと笑う白原に、亜貴は赤く染まった頬を膨らませた。
「……もう、何がだなんて聞かないでくれるかな? どうせ分かってやってるくせに」
肯定も否定もせず、ただ面白そうな笑みを浮かべる彼をじとりと睨み、シャツを掴む手を離して顔を背ける。そうして距離を取って部屋の片隅に座り込んだ亜貴に、白原は膝から猫を降ろし、苦笑した。
「俺はいつも通りに『亜貴』を可愛がってただけなんだけど。……そういう反応されると、いろいろと深追いしたくなっちゃうよね」
「う……」
「聞かせてくれないかな。何が無理? どんな事を考えたの?」
「…………」
ジリジリと距離を詰める白原に、言葉の応酬では到底敵わないと、亜貴は無言で首を振って抵抗を試みる。
「亜貴ちゃん……? もしかして、黙秘するつもりだったりする?」
「………………」
ふいっと視線を外して無言のまま猫の亜貴を見れば、ちょうどドアの隙間から部屋を出て行く所で。
気を紛らわす為にもと猫を見送っていると、白原がクスリと笑うのが耳に届いた。
「ふぅん。まぁ別にいいけど。……言葉で答えてくれなくても、何を考えてたのかは見ただけで分かるからね」
「……?」
どういう意味かと首を傾げた亜貴に、白原はにこりと笑いかけた。
「そんなに真っ赤な顔してたら、俺のこと意識してるってバレバレだよ。本当に可愛いよね、君って」
「ひ、尋也くんっ!」
根負けし、抗議の声を上げた亜貴の前に、ふいに手が差し出される。
「……ほら、こっちへおいで」
「え……?」
猫の『亜貴』に向けられたものと同じようで違う、白原の言葉。
その声音はいつもより低く、亜貴の心を震わせる。目を見返せば、真剣な瞳が亜貴を捉えていた。
それは特別な感情を感じさせるもので。
誘われるままに手を伸ばして手のひらを重ねると、引き寄せられて二人の距離がゼロになった。
亜貴を抱き締める腕の力はいつもより強く、少し息苦しくも感じる。
ドキドキと音を立てる鼓動を意識していると、亜貴の耳にどこか熱を帯びた声が届いた。
「いい子だ。……そのままじっとして」
「……っ」
白原の言葉に囚われたように、亜貴はゆっくりと顔を上げた。
絡む視線に頬が熱くなり、自分は今どんな表情をしているのだろうかと自問しながら目を閉じると、唇が重なった。
今までに何度も重ねたはずのキスが、いつになく亜貴の心を震わせる。
(尋也くん……)
言葉遊びを冗談と取れない程、心は強く囚われていて。
「……もう逃がさないからね。俺だけのお姫様?」
キスの合間に囁かれた言葉。
亜貴は手を伸ばし、背中を掻き抱いて答えを返した。
(Completion→2009.12.28)