『wedding veil』
「わぁ……。この絹、すっごくきれい」
月に一度の市井視察。
私は店先に並んだ薄絹の布を手に取って、まじまじと見つめた。
着色されていないこの絹は、光に透けるほど薄く、端に花をモチーフにした刺繍が入っている。
「なんかこれって……」
「――花? 何を見ているの」
「きゃっ、孔明さん!」
背後から話しかけられて、反射的にビクリと肩が上がってしまう。
驚いた私を落ち着かせるように肩に手が置かれ、孔明さんは不思議そうな顔をしながら私が持っている絹に視線を落とした。
「……へぇ。これはまた、ずいぶんと手の込んだ布だね」
「はい。きれいだなと思って見てたんですけど……」
言いながら、布の端に付いていた値札が視界に入り、絶句する。
(に、二万……って)
最近になって安定した通貨の価値を日本円で換算したら、軽く数倍は高い計算になる。
「あ、あはは……。きれいなだけにお値段も結構しますね」
「……それ、ちょっと貸してみなよ」
急に冷や汗が出て来て布を返そうとすると、孔明さんが布を取り上げて広げ、布目の一つ一つまで見ているんじゃないかっていうぐらい熱心に目を走らせる。
そうしてしばらく布を見た後、店主に向かって口を開いた。
「すみません、この絹なんですが……」
「ああ、なかなかいい絹布だろう? 職人が腕によりをかけた一品だ。その布、買ってくれるのかい?」
「そうしようかと思ってはいますが。……ただ、こことここ。日焼けかな。少し変色しているのと、この端の部分の縫製が甘いのが気になって。さすがに言い値のままでは手が出せないかなと……」
にっこりと笑みを浮かべる孔明さんと、グッと苦虫をかんだような顔をする店主。
「えっと……」
二人が値段交渉に入る中、私は呆然と立ち尽くしていた。
買うつもり、と言った孔明さん。いくら値引きするとはいっても、半額だって高価すぎる値段なのに、どうして買うだなんて――。
「……花? 何をボーッとしてるの。ほら、これを持って」
「へ……? って、孔明さん、本当に買っちゃったんですか!?」
渡された薄絹の布に驚いて顔を上げると、不思議そうな顔が返ってきた。
「本当にって、ひどいなぁ。君が気に入ったみたいだから、いつも頑張っているご褒美にと思って買ったのに」
「だけど、いくらなんでもこんなに高いものを――」
歩き出した背中に疑問をぶつけると、ちらりと振り返った孔明さんは肩をすくめてみせた。
「受け取れない、なんて言わないでよ。君にはそれを受け取る正当な権利があるんだから」
「え……?」
「……君はボクの恋人、でしょ」
「そ、それは確かにそうですけど……。でも、理由になっていません」
「はぁ。そこで素直に受け取っておけばいいのに。……仕方ないなぁ」
そう言うと、孔明さんはため息を一つついて私の手を取り、歩き出す。
手を引かれるままについていくと、しばらく歩いた所で立ち止まり、彼が口を開いた。
「花は値段のことをずいぶんと気にしているようだけど、そんな事は気にしなくていいよ」
「だけど……」
「こらこら、話はまだ途中だよ。……君はボクの側にいてくれる代わりに、戻るべき世界との縁を断った。本当なら、君はこの世界よりももっと自由で豊かな国で笑っていたのにね。……だから、ボクの出来る範囲で花の願いを叶えていきたいと思っているんだよ」
「孔明さん……」
心が震えて、涙が溢れそうになる。
側にいられて、まだ未熟ではあるけれど手助けが出来て。
一緒に同じ時間を過ごせるだけで嬉しくて幸せなのに、私の願いを叶えたいだなんて。
「……私は」
側にいられるだけで十分幸せ――そんな思いを込めて手を握り返し、もう一方の手で絹布を胸元に抱く。
「ありがとうございます、孔明さん」
「うん、それでいい。……それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
満足そうな笑顔を浮かべる孔明さんに、笑顔を返して。
思いがけない贈り物と言葉を胸に、私は彼と一緒に成都に戻る道を歩き始めた。