『言の葉に隠された心』
「孔明さん、今……いいですか?」
部屋の外から遠慮がちに掛けられた声に、目を通していた書簡から顔を上げる。
「花か。入っていいよ」
声の主――花にそう返すと、彼女は戸を開けて部屋の中へと入ってきた。
「……で、どうしたの?」
「あの、何か仕事のお手伝いが出来ないかなと思って来ました」
「ふぅん……。でも午後は芙蓉姫と約束があると言ってなかった?」
「そうだったんですけど、ちょっと都合が悪くなってしまったみたいで……」
「都合が、ね」
言葉を濁す花に、二人の間のやり取りが思い浮かぶ。
最近になって雲長の部下と恋仲になったらしい芙蓉姫。大方、多忙な彼の時間が空き、急な逢瀬の機会が出来たのだろう。
花が『私と芙蓉姫はまたすぐにでも会えるから、行って来て』とでも言って送り出す姿が想像出来る。
「それでここに来た訳か。……まぁ、きっかけがどうあれボクとしては歓迎するけれど」
「歓迎って……、そんなにお仕事が溜まってるんですか?」
「――仕事は至って順調だよ。ちょうど休憩しようと思ってた所だったし」
「それじゃあ、歓迎って……?」
首を傾げる花に、ボクは内心で苦笑する。
花は、弟子として来訪を歓迎されているのだと思い込んでいる。
彼女は良くも悪くも純真無垢で、そしてこの手の事に関しては鈍感だ。
芙蓉姫との約束がなくなり、どうしてここへと向かったのか。そして思いがけない彼女の訪問に、ボクが何を思っているのか。
その真意に、きっと花は気付いていないのだろう。
「……孔明さん?」
「さて、どういう意味で言ったんだろうね。当ててごらん」
「ええっ!?」
にこりと笑って見せると、花は困ったような顔をしながら『歓迎』が差す意味を考えている。
仕事を手伝うつもり、と表立って正当付けた理由をまず排除しない限り、答えは見えてこない――そう思いながら答えを待っていると、案の定困り果てた顔で「ごめんなさい、わかりません」と申し訳なさそうに頭を下げた。
「降参です……」
「もう降参しちゃうの? ……仕方ないなぁ。それじゃあ教えるけど、ただ答えを伝えるだけじゃ面白くないから、整理していこうか」
「整理?」
「そう。まず、君はとても単純かつ重要な根本を見誤っている。だからいくら考えても答えに辿り着けないんだ」
「…………」
どういうことなんだろうと顔いっぱいに疑問を浮かべ、花はボクを見つめる。
思ったことがすぐ顔に出る彼女に苦笑し、その瞳を見つめ返して口を開いた。
「芙蓉姫との約束がなくなって、どうしてここに来ようと思ったのかな?」
「どうしてって、私は孔明さんのお手伝いをしようと思って……」
「――それ。君は本当に仕事の手伝いをしようと思ってここに来た? もしそうなら、どうしてボクを名前で呼んでいるんだろうね」
「あ……」
「この部屋を訪ねた時から、君は『孔明さん』と名を呼んでいる。この所、仕事に関する時はボクの事を『師匠』と呼ぶ習慣が出来上がっているのにね」
そう指摘すると、花は何かに気付いたように口元に手を当てた。
「それじゃあ、もう一度聞こうか。花はどうしてここに来ようと思った? 君が言った『仕事の手伝い』は、急な訪問を正当化する為の理由。で、その動機は何だろうね。……さて。もう、答えは分かっただろう?」
椅子から立ち上がり、花の隣に立って彼女の髪に触れる。
「答えを教えてくれるかな」
「…………孔明、さん」
髪を弄っていると、しばらくの間を置いた後、花は聞き取れるかどうかの小さな声で答えた。
「……会いたかったから。孔明さんに会いたくなったから、ここに来ました」
欲しかった答え。
ようやく辿り着いた彼女の本心。
「――よく出来ました」
髪から手を離し、腕を伸ばして花を抱き寄せる。
「え、ええっ!? あの、孔明さんっ」
「なに、嫌なの?」
「そうじゃないです……。そうじゃない、ですけど」
もごもごと何かを言おうとした花はやがて力を抜き、体を預ける。
腕の中に収まった温もりに心地良さを覚えながら、ボクは謎掛けの答えを口にした。
「もう分かったよね? 君がボクの名前を呼んで部屋に入ってきたという事は、師匠としてでなく、ボクに会いたくなって来たという事だ。きっかけはどうあれ、ボクの存在を求められるのは嬉しいからね。だから『歓迎』すると言ったんだよ」
「じゃあ、最初から孔明さんは全部わかって――。……っ、意地悪です」
そう言って頬を膨らませる花に自然と笑みが零れ、彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
「意地悪とは心外だな。そもそも仕事なんて理由を付けないで素直に『会いたくなって』と言ってくれたら、最初からこうして迎え入れるよ」
「そ、それは……」
「はいはい、もうこの話はお終い。……それで、ボクの休憩に付き合ってくれるんだよね。気分転換に散歩にでも行こうか。それとも、このままこうしていようか。どちらにするかは花に任せるよ」
「う……。孔明さんの、いじわる」
選択肢を上げて任せた答えにつぶやきが返され、しばらくの間の後に衣がぎゅっと握り込まれる。
それは言葉の代わりの答え。
一緒にいたいです、と言葉にしなかったのは『意地悪』に対してのせめてもの抵抗なのかもしれない。
思わず漏れる笑みと共に、ボクは胸の中の温もりを深く深く抱きしめた。
(Completion→2010.09.20)