『ギリギリのところで』 (スターオーシャン5/フィデル×ミキ)
「ねぇ、ミキ。パーソナルスペースって知ってる?」
「ぱーそなるすぺーす、ですか?」
フィオーレの発した耳慣れない言葉にミキは首を振った。
地球に向かう艦の中、アンヌに借りた端末を駆使して新しい知識を次々と会得し、時折こうして話題を振ってくるがいつも知らない事ばかりだ。
今回も分からないと説明を求めれば、フィオーレは好奇心に目を輝かせながら口を開いた。
「対人距離とも言ってね、他人に近付かれた時に不快に感じる空間を誰しも持っているの。例えば、知らない人がこの距離に近付いてきたらどう思う?」
一歩近付き、手を伸ばせば簡単に届く距離に立ったフィオーレに、ミキは眉根を寄せた。
「フィオーレさんならいいんですけど、知らない人だと思うとちょっと近いかなって思います」
「じゃあ次。この距離は?」
そう言って半歩近付いたフィオーレとの距離はほとんどなく、形の良い胸が当たって思わず後ずさった。
「ちょ、ちょっとさすがに近過ぎます……。相手がフィオーレさんでも、少し距離が欲しいかなって」
「そうね、当然の反応だと思う。それじゃ最後の質問。今の距離にいたのがフィデルだったら?」
「えっと……それは……」
想像し、ミキの頰が赤く染まる。素直に嫌じゃないと答えれば、フィオーレはゆったりと笑った。
「パーソナルスペースってね、親密な相手ほど狭くなるの。だからそれだけミキがフィデルに心を許してるって訳。人の距離感って心と密接な関係があるんだって」
「へぇ……面白いですね」
「でしょ? ねぇ、ミキ。試しにフィデルに同じ事をしてみたらどう?」
「へっ? 今と同じ事を……?」
「そう。兄妹の関係は卒業したんでしょ? だったら今までより近付いてもフィデルは受け入れてくれるんじゃない?」
「それはそうかもしれないけど」
でも、と口ごもるとフィオーレは口の端を上げた。
「実はフィデルを呼び出してあるの。あと数分でここに着く筈だけど」
「えっ、フィオーレさん⁉︎」
「フィデルの反応、後で聞かせて。今後の参考にしたいから。じゃあわたしはこれで。頑張ってね、ミキ」
「待って……待って下さい! フィオーレさーん⁉︎」
無情にも閉められたドアを呆然と眺め、ミキは胸に手を当てる。
確かにフィデルが自分をどこまで受け入れてくれているのかは気になるが、それ以上に拒絶される事を想像すると答えを知りたくないような気もする。
グルグルと思い悩んでいると、ドアが開いてフィデルが部屋に入ってきた。
「ミキ。フィオーレさんから伝言を聞いたけど、話があるんだって?」
「あ、えっと……。話というか何というか……」
モゴモゴと言いよどんでいるとフィデルが首を傾げる。ミキはチラリとフィデルを見上げ、やがて決心して彼の前に立った。
「あのね、少し試してみたい事があるの。これからわたしがフィデルに近付いていくから、嫌だなと感じたらすぐに言ってね」
「あ、ああ……」
急な話に戸惑いながらも応じるフィデルに、ミキはありがとうと告げて一歩踏み出す。
コツ、コツ、と靴音が鳴るのがやけに響くのを感じながらゆっくりと近付くが、フィデルは表情を変える事なく、ただ不思議そうに事の成り行きを見守っている。
一歩。そして半歩。
フィオーレが最初に立った距離を越え、彼女を近過ぎると思った距離へ。それでもフィデルは動かない。
ゆっくり、これまで以上にそっと歩み寄り、とうとうフィデルの胸元に鼻先が触れそうになる――そんな距離でピタリと動きを止め、ミキは震える声で言葉を零した。
「……こんなに近くても、嫌じゃないの?」
「どうして? 嫌だなんて思うはずないだろ? その、少しくすぐったく感じる近さだけど」
「フィデル……」
顔を上げるとミキを見つめるフィデルの瞳は柔らかく。ミキは一瞬で顔を赤く染め、膝から崩れ落ちるように床に座り込んだ。
「ミキ⁉︎ どうしたんだ⁉︎」
「なんでもないの……ただ、心臓に悪いなって」
「ミキ……⁉︎」
思い掛けない距離感に心の平静は簡単に取り戻せそうにない。
鳴り止まない胸の鼓動に、ミキはフィデルの服の裾をそっと握り締めた。