『突然のキス』  (SOA/ロニキス×イリア)



 なんだか艦内が浮き足立っている。
 肌でそんな空気を感じるけれど、原因は分からず。首を傾げながらブリッジに向かって歩みを進める。
 そしてブリッジへ続くドアの前に立った時、廊下を歩いてきたレナに気付き視線を投げると、こちらに気付いたようで彼女は緩んだ表情をハッと引き締めた。
「イリアさん、今からブリッジに入るんですか?」
「ええ。探索結果に関するデータをまとめ終えたから、その報告に」
「……イリアさん、格好いいです。仕事の出来る女性って憧れてしまって」
「ありがとう。でも、ただ任された仕事をこなしているだけよ。……ねぇ、それよりいい事でもあった?」
「えっ?」
「さっき、なんだか幸せ~って感じの顔をしていたから気になって」
「あっ、それは……。今日、ちょっとした記念日らしくて、それでその……」
 顔を真っ赤にして口ごもるレナに、ピンと来る。
(これは何かあったのね……)
 誤魔化せばいいのに素直に口を割ってしまう彼女が可愛くて追求したくなるけれど、それは野暮になってしまう。
 私はレナに微笑みかけ、言った。
「あなたが嬉しそうにしているとクロードもきっと喜ぶと思うわ。彼のこと、よろしくね」
「は、はいっ!」
 背筋を伸ばして一礼すると、レナはありがとうございますと言葉を残して歩き出す。その背中を見送って、私は笑んだ。
「あの子が将来生まれるはずの息子の彼女、か……。いい子すぎて勿体無いんじゃないかしら」
 この時代、この艦に呼ばれて邂逅した未来の子供達。とても不思議で今もクロードが息子だという実感は薄いけれど、そう遠くない先に彼を身に宿すことになるのだと思うと将来が楽しみになる。
「自分が子供を産むなんて今まで想像もつかなかったけれど。……そうだわ、記念日って言ってたわね。今日は何の記念日だったかしら」
 レナの言葉が気になり、手元のデバイスを立ち上げてデータベースにアクセスする。
 そして表示された検索結果に、私は目を瞬かせた。
「……キスの日?」
 その言葉を頭の中で反芻し、ああ、なるほどと納得する。
 艦内の浮ついた雰囲気、赤面したレナ。それらが結び付く。
「そんな記念日があったのね……。とにかく、今は仕事に戻らなきゃ」
 思い掛けず脱線してしまったけれど、気持ちを切り替えてブリッジに足を進める。
「艦長、先日の惑星探索の結果報告に来ました」
「ああ、ありがとう。助かるよ。今目を通すから少し待ってもらってもいいかな?」
「ええ。何か疑問点があったら仰って下さい」
「イリアさんの報告書は毎回完璧だから、その必要はないと思うけど……」
「うちの優秀な部下ですからね」
「え……?」
 横から入った思い掛けない声に、私は目を見開いた。
「か、艦長……っ」
「何を驚いているんだ?」
「だって、どうしてここにいるんですか⁉︎」
「どうしてって、艦長補佐として勤務しているからだが。まぁ、本来ならあと一時間後に勤務開始なんだが、暇を持て余してな」
「そうだったんですね……」
 動揺を抑え込み、艦長を見上げて視線が合った途端、さっきの話が頭を過ぎった。
 『キスの日』。
(……やだ、公の場でなんて事を思い出してるの?)
 思い掛けず頰が熱くなるのを自覚する。
「イリア……?」
 私の異変に気付き、顔を覗き込もうとする艦長から距離を取り、後ずさる。
「すみません、私……失礼します!」
 上手く誤魔化せる気がしなくて逃げるようにブリッジを後にする。
 廊下を早足で歩き、近くの空き部屋を見つけると私はそこに入り、その場に座り込んだ。
(記念日なんて検索しなければ良かった……)
 キスの日だなんて。
 あの場で意識してしまった自分が恥ずかしい。
 艦長に変に思われただろうな……そう思いながら気持ちを落ち付けようと深呼吸を繰り返していると、前触れもなくドアが開いた。
「イリア、ここにいたのか……」
「えっ、艦長っ⁉︎」
 まさか追いかけてくるなんて。
 これ以上ないぐらい動揺して視線を彷徨わせていると、艦長は私の前でゆっくりと膝を折った。
「あまりにも様子が変だったからな。体調が悪いとか、そういった感じではなさそうだから心配し過ぎるのもどうかとは思ったが」
「艦長……」
「何があったんだ?」
 優しい彼の言葉に、はぐらかす事など出来なくて正直に理由を説明する。
 キスの日だから貴方を意識してしまって、と恥ずかしげも無く本心を零すと、艦長は深く息を吐き、そして私の頰をその大きな手で包み込んだ。
「本来、乗せられるのはあまり好きではないが、今日ぐらいは敢えて乗ろうか」
「えっ……?」
「君にそこまで言わせておいて何もしない程、朴念仁ではないからな」
「……っ」
 彼の親指が私の唇を確かめるように撫で、そして口付けられる。それも一度だけでなく、啄ばむように何度でも。
「か、艦長……?」
「……こういう時ぐらい名前で呼んでくれ」
「…………はい」
 思い掛けない甘い時間。
 本来の勤務開始時刻を頭の片隅に置きながら、私達は互いの背中に手を伸ばした。