『お守り代わりにそっと』 



「皐月ちゃん、お昼食べようか」
「うん!」
 休日の今日、私は暁兄の家に遊びに来ていて。
 目の前のテーブルには一緒に作った料理が並び、向かいの席に暁兄が座る。
「じゃあ……」
『いただきます』
 ぴったり重なった声に顔を見合わせて笑い、食事が始まった。
 ご飯を食べながらいろんな事を話したり、これから何をしようかなんて、そんな事を決めたり。
 それはありふれた光景かもしれないけれど。それでも、私にとってはかけがえのない、大切な時間。
 好きな人と一緒に、同じ時を過ごすこと――。
「……ん、どうかしたの?」
「え?」
「箸、止まってるよ」
「あ……。何でもないよ。ちょっと考え事をしちゃって」
「ふぅん。もしかして、俺のこと?」
「――っ、きょ、暁兄っ!?」
 あっさり言い当てられて、動揺してしまう。
 顔が熱くなって、きっと顔が真っ赤になっているんじゃないかなって自覚する。
「……皐月ちゃんって、本当に嘘はつけないよね。で、俺について何を考えてたの?」
「………………」
「ねぇ、教えてくれないかな?」
「う……」
 にこにこと笑う暁兄に、私は言葉を詰まらせる。
 別に変なことを考えていたワケじゃないけど、一緒にいられることが幸せだなんて、面と向かって言うのは気恥ずかしくて。
「……ご想像にお任せします」
 ちょっとだけ投げやりにそう言うと、暁兄は意地の悪い笑顔を浮かべた。
「へ~。じゃあ、好きに想像しちゃうよ? 皐月ちゃんがあんな事やそんな事を考えてたんだな~って」
「なっ……!?」
 言い方が、なんかやらしい。
 けど、ここで余計な事を言ったら揚げ足を取られるのが分かっているから、何も反論せずにご飯を口に運ぶ。
「暁兄も早く食べないと、おかず全部食べちゃうよ?」
「あはは。ちょっと強引だけど、話の切り抜け方が上達したよね」
「そりゃあ、もう一年以上お付き合いさせて頂いてますから」
「それもそうだね」
 自分が影響しているのだと、自覚があるだかないんだか。
 暁兄はなんだかいい表情をしながら食事を再開する。
 そして、ちょっとした会話を交えながら昼食が終わり。
「じゃあ、私が食器を洗うから、暁兄は休んでいてね」
 片付けを引き受けて、流しで食器を洗っていると、ふいに携帯電話の着信音が耳に届いた。
(この着信音は……仕事関係の方か)
 暁兄は携帯電話を二台持っていて、仕事用とプライベート用とを使い分けている。
「はい、御剣です」
 その証拠に、改まった声音で電話を受けている。 
(もしかして、今から出る事になっちゃうのかな……)
 彼の仕事は不定期で、基本的には電話で日時の予定を決めてから、実際に依頼人に接触する事が多い。でも、最近は電話を受けたその足で出掛ける事も多くなっていて。
(……というか、仕事の量が確実に増えてるよね?)
 まず、会える日が少なくなって。ここの所はオフの日にもこうして連絡が入り、時に出向いていってしまう。
 暁兄の仕事、結局まだ詳しいことは何も教えてもらえていない。
 ただ、危険な仕事だっていうのは何となく分かる。
 だからこそ、こうして一緒にいられる時間が大切なのに――。
「……ふぅ」
 電話を切り、息を吐いた暁兄が私を見る。
 その表情を見て、話を聞かずとも分かってしまった。
「今からお仕事?」
 私から切り出すと、暁兄は複雑な表情を浮かべてうなずいた。
「ごめんね。今日はずっと一緒にいられると思ったんだけど」
「……いいよ。でも、最近忙しすぎるよね?」
「うん、確かに少しオーバーワーク気味かもしれないね」
「自覚あるんだ……。じゃあ、少し仕事を減らしたら?」
「そうだね」
 一言そう言って、曖昧に笑う。
 こういう時、暁兄の意思は決まっていて揺らぐ事はない。それが分かっているから、私は肩をすくめて話を切った。
「もう時間、あんまりないんだよね?」
「ああ。少し遠出しなきゃいけないから、すぐに出ないと。……本当にごめん」
「暁兄、謝らないでいいよ。それより、もう少しだけここにいてもいいかな。洗い物も途中だし、後で戸締りして帰るから」
 前にもらった合鍵があるから――そう思って言うと、暁兄はもちろんいいよと快諾してくれた。
 それから慌しく支度を終えた彼を、私は玄関先まで見送りに行く。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「うん、気をつけてね?」
 心の底からそう思いながら、手を振りかけて。
 そして私はある事を思い付く。
「暁兄、ちょっと待って」
「ん? どうしたの?」
 首を傾げる暁兄の右腕を引っ張って、つま先で立って。
 身長差を埋めて、頬にそっと口付ける。
「…………皐月ちゃん?」
 呆然とする暁兄に、私は笑った。
「お守り。暁兄が無事に帰ってきますようにって、ね」
 本心を言えば、こんな事でお守りになるとは思えないけれど。
 でも、本当に無事に帰ってきて欲しいから。
 それに。暁兄に……触れたかったから。

  本当はずっと一緒にいたい。
  一人でいる時間が長くて、淋しくて。
  でも、我侭は言えない。

 だから、お守りという名のキスをして。
「いってらっしゃい」
 そう言ったら、暁兄は少しの間私を見つめて、そして微笑みを浮かべた。
「行ってきます」
 優しい微笑みと共に、同じようにそっと頬にキスをして。そして暁兄は家を後にする。
 パタンを閉められたドア。
 それと同時に、私はその場に座り込んだ。
「今の……反則っ」
 我慢していた淋しさが、今のキス一つで想いと共に溢れる。
「……大好き。早く帰ってきて、暁兄……」

  どうか、無理をしないで。無事で帰ってきて。
  そして、私を抱きしめて欲しいの。

 口付けられた頬に手を当てて、私は静かに涙を零した。