『夏の終わり、二人の始まり』
「暑い……。暑くて死にそう……」
もう9月も半ばに入ったというのに、ちっとも秋の気配は感じられなくて真夏のよう。
木陰に入っている今はいくらかましになったけれど、それでも汗は次々に流れ落ちる。暑さを和らげてくれるはずの風も、まるで熱風で。
「はぁ……。せっかくのデートなのに汗まみれって……。せっかく気合いを入れてきたのに、これじゃ台無しだよ」
一人つぶやき、ため息をつく。
昨日の夜、たっぷり1時間かけて選んだ服なのに。もう汗が染み込んでしまっている。
ハンカチを取り出して汗を拭き、腕時計に視線を落とした私はもう一度ため息をついた。
「……それにしても、勇人くんってば遅いよね。もう待ち合わせ時間を三十分以上過ぎてるんだけど」
いろいろあって、付き合うことになった私と勇人くん。
今朝になって急に配達を頼まれたから、もしかしたら遅れるかもしれないって電話で言ってたけれど。それにしてもこの炎天下の中、ただ待ち続けるのはちょっと辛い。
こういう時に携帯電話があったら便利だな~と思いながら、暑さでボーッとしていると、遠くからこっちに向かって走ってくる足音が聞こえてきた。
「おーい、皐月っ!」
「勇人くんっ……」
やっと来た――そう思った私の前に、駆け付けると同時に彼は缶ジュースをずいっと差し出した。
「遅くなってごめん! これ、せめてものお詫びって事で」
「あ、ありがとう」
手を伸ばして缶を受け取ると、ひやっとした冷たさが手に心地いい。この暑さの中で缶は水滴だらけだったけど、手を濡らすその水滴すらも、暑さを和らげてくれる。
蓋を開けてジュースを口に含んだ私は、喉を潤す冷たさにほうっと息を吐いた。
「冷たくておいしい……」
勇人くんを見ると彼は一気にジュースを飲んでいて、私の視線に気付いて笑顔を見せた。
「適当に選んじゃったけど、そのジュースで良かったか?」
「うん。私の好きなのだよ」
「そっか……。皐月、ごめんな。こんなに遅くなって。待ち合わせ、お前の家にすれば良かった。……暑かったよな」
「……うん、本当に暑かったよ。でもね」
「ん?」
ジュースを飲んで、言葉の続きを伝える。
「このジュースでかなり暑さが和らいだよ。だから、許しちゃうね」
「ゆ、許すって……。皐月さん、やっぱりちょっと怒ってたんですか?」
「あはは、冗談だよ。別に怒ってなんかないから」
「本当に?」
「本当だってば。だって、お仕事で遅れるんだもの。それに対して怒っても仕方ないじゃない? それに急いで駆け付けてくれたんでしょ」
走ってきた勇人くんの頬や首筋を、汗が伝っている。それは急いで来てくれたという何よりの証拠。
「そっか……。ありがとな、皐月」
笑顔を浮かべる勇人くんに微笑みを返し、私は残ったジュースを飲み干した。
「缶、捨ててくるよ」
「ありがとう」
勇人くんは私から缶を受け取って近くのゴミ箱に捨てると、戻ってくるなりゴソゴソと服の裾で手を拭う。
「……?」
どうしたんだろうと思いながら見ていると、彼は照れたような顔をしながらそっと手を差し出した。
「勇人くん……?」
「……手、繋がないか? その、嫌だったら別にいいけど」
「…………」
じっと差し出された手を見て、そして勇人くんを見て。
私に向けられるものに、手を伸ばす。
そっと手を重ねたら、ぎこちない手付きで握られて。そのままぎゅっと引き寄せられた。
「行こうか、皐月」
「……うん!」
顔を赤くした勇人くんに連れられ、私は歩き出す。
近い距離と、繋がれた手から伝わる彼の温もり。そこからジュースを飲んで落ち着いたはずの熱が、ぶり返していく。
じわりと手のひらに汗が浮ぶ。
だけどそれは私だけじゃなくて、勇人くんも同じみたいで。
繋いだ手をそのままに見上げたら、私を見下ろす彼と目が合い、笑いあう。
きっと、感じている熱さは同じ。
そう思っていたら、勇人くんはふと思い出したように口を開いた。
「あの……さ。言いそびれてたんだけど、今日の皐月……可愛いよ」
「……っ!」
一生懸命に選んだ服。それに気付いてもらえた事が嬉しくて、胸の鼓動が一つ跳ねる。
さっきまで同じだと思ってた熱は、今はきっと私の方が高くなっている。
何も言えずに繋いだ手に力をこめたら、同じように返されて。
それきり言葉を交わすことが出来なくて、ただ繋いだ手をそのままに私たちは歩き続けた。
(2009.7.20)