『見えない角度で手を握り締め』



(また、デートがダメになっちゃった……)
 私はテーブルの上の唐揚げを箸でつつきながらそんな事を考えた。
 数日前に衣笠先生から誘われたディナーの約束。
 学校での仕事が終わって一緒にお店に向かおうとしていたら、葛城先生と九影先生に居酒屋に行こうと声を掛けられたのだ。
 本心を言えばもちろん断りたかった。でも、目前に迫った行事の打ち合わせを兼ねてなんて言われてしまい、衣笠先生を見れば仕方ないという顔をしていて。
(いつになったら二人でゆっくりと恋人らしい事が出来るのかな)
 二人でデートをしようとすると、必ずと言っていい程に邪魔が入る。それは清春くんを始めとするB6のメンバーだったり先生達だったりするのだけれど。本当に二人きりでいられた事は数えるほどしかない。
「……はぁ」
 ほとんど無意識にため息をつきながら唐揚げを口に運ぶ。
 ふと料理を見ると、ほとんどお皿の上には残ってない状態で。向かいに座る二人の前には何杯目か分からないお酒のグラスがまた空になろうとしていた。
 何度かお酒の席を一緒にした事はあるけれど、相変わらずの飲みっぷり。
 もう一度、今度はこっそりとため息をつきながら隣を見ると、衣笠先生と目が合った。
 私を見つめる目がふっと笑い、唇が音もなく言葉を紡ぐ。
(……なんだか拗ねてますね)
 にっこりと微笑まれ、内心を当てられてしまった私は気まずくて曖昧に微笑みを返した。
 そう、私は拗ねているのだ。
 子供っぽいなと思うけれど、今夜の約束がダメになった事でどうしてもこの場を楽しむ事が出来ない。
 先生たちとの会話をどこか聞き流してしまっている事も、浮かべる笑顔が心からのものではない事も、衣笠先生にはお見通し。
 そんな心の内を覚られてしまった事が恥ずかしくて視線を逸らすと、ふいに手が重なった。
「えっ……?」
 戸惑う私に微笑んで、衣笠先生は重ねた手を机の下に下ろして隠す。
 あっという間の出来事に話に夢中になっている向かいの二人は気付いていないみたいだけれど、絡められる指に顔が赤くなっていくのが分かる。
 手を繋いでいるだけならまだ平静を装えたのかもしれないけれど、絡んだ指先が私の手の甲をそっと撫でていて。くすぐったさと同時に体が疼く。
 逃げ出してしまいたいような、でもこのまま触れていて欲しいような感覚に困り果てて衣笠先生を見上げると、手が引き寄せられ、自然と体が傾く。傾いた体は先生に寄り掛かる形になり、そっと肩を抱かれた。
「……おや、悠里先生。もう酔ってしまったんですか? ずいぶんと顔が赤いですよ」
 心配そうな声で問い掛ける衣笠先生に「そんな事ないです」と答えようとするけれど、肩を抱く手にさりげなく込められた力を感じ、何も言えなくなってしまう。
「仕方ありません……。葛城先生、九影先生。彼女を送って行きますから、すみませんがお会計をお願いしますね~」
 にっこりと微笑む衣笠先生に二人とも何か言いたそうだったけれど、何枚か置かれたお札を見た途端に『気を付けて帰って下さい』などと上機嫌に私達を見送ったのだった。




「……さぁ、これでようやく二人きりになれましたよ」
 お店を出て私の肩から手を離した衣笠先生はクスクスと笑った。
「二人きり……って、確かにそうだけど、あんな……っ」
 どこか楽しそうな衣笠先生とは裏腹に、私は複雑な気持ちで彼を見返す。
 別に付き合っている事を隠している訳じゃないけれど、人前でという気持ちが何より勝って抗議の声をあげると、にっこりと微笑まれる。
「あれが一番早くあなたを連れ出せる口実でしたから。……もっとも、ぼくが触れたかったというのもありましたけれど」
「えっ……」
「ふふっ……。行きましょうか、悠里先生。実は予定していたディナーの場所、この近くのホテルにあるレストランなんです。予約の時間も遅めに取っていましたし、歩いて行ける距離ですから」
 差し出される手。私は手を重ね、くすぐったさを感じながら微笑む。
 恋人らしく手を繋いで歩きながら、胸を満たす幸せな気持ちのままに私は衣笠先生の名前を呼んだ。
「どうかしましたか?」
「……なんでもないです」
 手を繋いで隣を歩くだけで幸せ――なんて言葉に出来ない。
 言葉を濁した代わりにぎゅっと手を握ると、衣笠先生はふっと微笑んだ。
「……ああ、そうです。言い忘れていましたけれど、実はホテルに部屋を予約してあるんです。ディナーの後はそこで休憩しましょう」
「えっ……、そ、それって……」
 よくあるデートの基本パターンで、それはつまり……。
 何か言おうとしても出て来ない言葉。ただ口をパクパクさせていると、居酒屋でのように指先が私の手を撫でる。
「――とはいえ、休憩と言いながら君を帰せそうにないんです。先程の熱を帯びて潤んだ瞳が忘れられなくて。今夜はぼくと一緒にいてくれますね、悠里」
「…………っ!!」
 耳元で囁かれて、へなへなと膝から力が抜けそうになる。
 ゆっくりと恋人らしい事をしたいと思ったけれど、まさかこんな展開になるなんて……。
「だめ、ですか?」
 足元がおぼつかない私を支えながら問い掛ける衣笠先生。
 その瞳を見返しながら、私はようやくの思いで言葉を紡ぐ。
 思ってもみない展開だったけれど、好きな人と一緒に過ごせるのだから。
 それに……。
 見えない角度で握り締められた手。触れる指先。
 あの時与えられた熱に焦がされてしまいたいと心のどこかで願っていたから――。
「……ダメじゃ、ないです」
 ぽつりと零れた言葉に、衣笠先生は嬉しそうに微笑んで私の肩を引き寄せた。