『雨の日のお迎え』 (Panic Palette/ノル×亜貴)
今日は憂鬱な帰り道になりそうだ。
靴に履き替え昇降口に立った亜貴は、薄暗い雲に覆われた空を見上げ、そっと息を吐いた。
「夕方まではもつかなって思ってたんだけど、ダメだったなぁ……」
空模様はすっかり下り坂。亜貴の予測は裏切られ、降り出した雨が大地を濡らしている。
「ノルの言う通り、か。素直に聞いておけばよかった」
溜息混じりにつぶやき、視線を落とす。
朝、家を出る際に青い球体――ノルレッテが傘を持っていくようにと言っていたのだ。だがこの日は手持ちの荷物が多く、天気予報の降水確率も低かった事から大丈夫だと言い切って。
『だから傘を持っていきなさいと言ったでしょうに。まったく、人の助言を聞き入れないからこういうことになるんですよ』
雨に打たれて帰宅すれば、そんな言葉を投げ掛けられることになるだろう。かといっていつまでも学校に残っている訳にもいかない。
「……よし、行きますか!」
覚悟を決めて一つ深呼吸をすると、コンクリートを蹴り、走り出す。
本降りではない為、走って帰れば頭からつま先までずぶ濡れになる、といった事態にはならないだろう。
傘を差す生徒や雨に打たれながら歩く生徒の間を抜け、真っ直ぐに帰路を急ぐ。
校門を出て通学路を走り、そうして数本目の十字路に差し掛かった時、「亜貴様」と呼ばれ、亜貴は反射的に足を止めた。
「ノル!?」
亜貴様、と呼ぶのは彼しかいない。だがノルはアパートの部屋で待っているはず――そう思い周囲を見渡すが姿はなく。
幻聴か、と首を傾げて再び走り出そうとした時、頭上に見覚えのある傘が差し出され、振り返ろうとした亜貴の背に人の温もりが触れた。
「だから傘を持っていきなさいと言ったでしょう? 私の助言を聞き入れないからこういう事になるんですよ」
亜貴が思い描いた言葉がほとんどそのままに告げられる。
ただ一つ違うのは、背中に触れる温もりといつになく近い距離で聞こえる彼の声。
(……う、わ。いつもの姿じゃなく、本当のノルだ)
球体ではなく、本来の姿で現れたノルの存在に鼓動が一つ跳ねる。
振り返ることが出来ずにただ目を瞬かせていると、まったく仕方のない人ですねというつぶやきと共にタオルが頭に掛けられた。
彼がいつもの姿ならば、更に小言を重ねながら亜貴自身で拭くように促していただろう。けれどタオル越しに感じた手の存在に、亜貴は頬が赤く染まっていくのを自覚する。
濡れた髪を拭くノルの手付きはずいぶんと優しい。
心地良い、そう思いながら目を細めているとクスリと笑う声が漏れた。
「ふふっ、まるで猫のようですね」
「ね……猫?」
「ええ、猫です。ほら、懐いた猫が擦り寄って来た時のようだな、と思いまして」
「何それ。私が猫みたいだなんて――」
いい意味で言われているのか悪い意味なのか。意図を追及しようとノルを見上げ、亜貴はそのまま言葉を失った。
彼が浮かべていた表情は、柔らかで。
「……っ」
反則だ、と心の内で白旗を上げる。
球体の彼も今の彼もどちらもノルには違いないが、触れる手の優しさや柔らかな表情に、いとも簡単に心が躍らされてしまう。
「おや、猫に例えられるのは気に入りませんか?」
どこか楽しそうに告げるノルに、亜貴は首を振る。
「……可愛いっていう意味で言ってくれたのなら大歓迎だよ」
やられっ放しでは面白くないと笑顔で告げると、一瞬の後、ノルの口の端が上がる。
「これはまた大きく出ましたね……。私がそう思って言ったとでも?」
「違うの?」
「さぁ、どうでしょう?」
「もう、いつもそうやって誤魔化すんだから」
言い合いながら、どちらからともなく歩き出す。
一本の傘の下、言葉を交わしながら帰る道は心を浮き立たせ、憂鬱だったはずの時間が一変する。
「……ありがとう、ノル」
ふと途切れた会話の合間。
亜貴は笑い、傘を持つ彼の手にそっと触れた。