『幼稚な気の引き方』 (ハートの国のアリス/ユリウス×アリス)
「………………」
深い眠りから目が覚めると、隣に寝ていた筈のユリウスはいつの間にか起き出している。
耳に届くのは、時計を修理する音。
ずいぶん聞き慣れたその音に一つため息をつき、私はベッドの端に寄って彼を見下ろした。
背筋を伸ばし、仕事に没頭する姿をカッコいいとも思うけれど。
なんだか、ムカムカする。
(……ほんっとにユリウスってば、仕事バカよね。たまには私が起きるまで側にいてくれたっていいじゃない)
一緒に眠りに就いたあと、目覚めた時には私一人だったという事が日常的になっていて。
(やっぱり、ムカムカするわ。仕事と私と――)
――『どっちが大事?』
ふいに、ある言葉が脳裏に浮かんで慌てて消した。
彼の生業である仕事と比較するだなんて、馬鹿馬鹿しい。そう思うのに、再び同じ言葉が浮かんでしまう。
「………………」
私は目を閉じて小さくため息をついた。
恋愛感情というものは本当にやっかいで。
「最悪……だわ……」
自分でも聞き取れるかどうかの小さな声でつぶやいて寝返りを打ったその直後――。
「アリス……?」
微かな物音が止まり、ユリウスの声が耳に届いた。
(え……?)
集中していたはずのユリウスがこちらを見上げたのだと衣擦れの音で分かる。
数秒経って、また時計を修理する音が聞こえてきたのだけれど。
(もしかして私の事を気にしてくれた?)
修理の手を止めて、寝返りを打った私に注意を払って。
そう思うと途端に嬉しくなってしまう。少しでも気に掛けてくれていたんだって実感して。
「………………」
口元が緩むのを抑えられないでいると、ふいに子供みたいな事を思いついた。
(そうだ、うなされているフリをしてみようかしら)
試すみたいで後ろめたい気持ちもあるけれど、私の事を気に掛けてくれているならそれなりの行動をしてくれるはずだ。
まるで子供が親の気を引こうとしてるみたい――そう冷静につぶやく自分を頭の片隅に追いやって、もう一度寝返りを打ってみる。
「う…ん……」
適当に、それらしく演じてみせる。まるで悪夢にうなされているかのように。
「や……」
「――アリス?」
ガタン、と大きな音を立てる椅子。そして足早にベッドに近付く気配に思わず私は息を潜めた。
「悪い夢でも見ているのか?」
ベッドのすぐ側でユリウスの声が聞こえる。私は長身の彼が立っていても見えない高さのベッドにいる為か、声音が少しだけ不安そうに揺れている。
それに答えるように身動ぎしてみると、ユリウスは梯子を上り、ベッドに上がってきた。
(うそ……。ちょっとぐらい心配してくれるかなとは思ったけど、ここまで来ちゃうだなんて)
ドキドキと心臓がうるさいぐらいに音を立て始める。
息を潜めたままぎゅっと目を閉じていると、ギシッとベッドが軋んだ。
顔の近くのマットが沈み、彼が手をついて私の顔を覗き込んでいるのだと覚る。
「アリス」
「…………っ」
髪を撫でる優しい指先に、思わず息が漏れ、肩が震える。その反応に違和感を覚えたのか、ユリウスの手が離れて代わりに深いため息が耳に届いた。
「起きているのだろう? 悪い冗談はやめて起きたらどうだ」
「……ごめん」
少し不機嫌そうな声に体を起こすと、眉間に皺を寄せたユリウスに向かい合うように座って謝った。
仕事の邪魔をされて気分を害されるのは当然だから彼が怒るのも仕方がない。けれど、謝罪の言葉を口にした上に彼の心情を悟りながらも口元が緩むのを抑えられず、私はユリウスの首に手を回してその肩に顔を埋めた。
「なっ……」
「ごめんなさい。でも、嬉しかったわ」
戸惑うユリウスに抱き付き、正直な気持ちを言葉にのせる。
ただただ現状が分からずに困っている彼に、私は自分がとった行動の意味を伝えた。
寂しくて気を引きたくて、うなされたフリをしたのだと。
「ここまで心配させる気はなかったのよ。でも……嬉しかった。ユリウスが私の事をこんなにも心配してくれたんだって分かって」
「お前は…………」
全く意地の悪い女だ――そう言ってユリウスは私の背中を抱き締めた。
「悪夢に囚われてしまったのかと……。頼むから、あまり私を心配させないでくれ」
背中を抱く手の力はいつもより強くて。
何よりも私の事を大切にしてくれているのだと実感する。
「……ん、ごめん」
もう一度だけ謝って。
そして顔を見合わせ、私達は唇を重ねた。